Monthly Web Magazine Aug. 2022
■蟇股あちこち 28 中山辰夫
今月は滋賀県大津市坂本の延暦寺と日吉大社・西教寺です。これら三社寺は、1571年織田信長による焼き討ちに遭い焦土化し、再興されました。
延暦寺の国宝・根本中堂は2016年から10年間の予定で改修中です。完成が待たれます。年齢的に完成後の姿が見られないのが残念です。
日吉大社は滋賀県内で最大の神社で、全国的に有名です。西教寺は、大津市の坂本にある名刹です。日吉大社から歩ける距離にあります。
天台宗の真盛派の総本山です。信長の焼き討で46の殿舎僧房が全滅し、現在の建築は近世以後のものです。
延暦寺
滋賀県大津市坂本本町4220
比叡山延暦寺の根本中堂(国宝)と廻廊(重要文化財)は、現在、「平成の大改修」中で、建物全体がすっぽりと素(す)屋根に覆われています。
1951~1955年(昭和26~30)の「昭和の大改修」から約70年ぶりとなるそうです。2016年から約10年の予定です。
天台宗総本山の比叡山延暦寺は、788年に伝教大師最澄が草庵を結んだのを始まりとされます。
数度の焼失、再建を繰り返してきました。特に、1571年の信長の全山焼打ちではほとんどの伽藍が焼失、その後復興が進められました。
ほぼ600mの髙地に、南から東塔・西塔・横川の三つの地域に大別し、東塔には根本中堂・戒壇堂・文殊楼院・大講堂・法華総持院・浄土院・阿弥陀堂などの伽藍、西塔には釈迦堂・法華堂・常行堂・総輪橖・等の伽藍と椿堂・本覚院(居士林)・瑠璃堂・清竜寺など、横川には、元三大師堂・横川中堂・根本如法堂・恵心堂・元三大師御廟などがあります。
延暦寺の現存建築は比較的新しい時代のものが多いですが、これらの建物や遺物などで1200年の歴史を振り返ることが出来ます
蟇股は、これまでに3~4回塗り替えられた形跡があるようで、今回の大改修であでやかに復元された姿がみられると期待しています。
各伽藍の蟇股を軸に紹介します。 東塔から、始めます。堂内の撮影は禁止です
根本中堂 国宝 再興:1640 桁行十一間 梁間六間 一重 入母屋造 瓦棒銅板葺
県下最大の木造建築物 内陣は石敷きの土間で、中央に薬師如来、南に伝教大師、北に毘沙門天を祀る各厨子は、高い基壇を築き安置されています
正面(1955年修復工事完了時)と江戸時代の絵図及び現在の工事進行中の紹介です
全景 杉木立も邪魔して全景は映せません 「TECTUREMAG」引用
根本中堂は廻廊(国重文)が三方にあって、杉木立に囲まれて、延暦寺の貫録を示しています。
朱塗りの廻廊から本堂に進みます。日本で三番目の木造建築だけあって、直径66cmの柱が76本で支える大屋根が立派です。
廻廊 国重文 再興:1640年 桁行折曲り四十一間 梁間二間 一重 両下造 正面前後軒唐破風付 両側面車寄各唐破風造 とち葺
蟇股
約100mある廻廊には花鳥を彫刻した江戸時代の特徴をよく表した蟇股が並びます (一例です)
本堂参拝門
本堂内部
堂内は撮影禁止です。平面は、外陣(下礼堂)・中陣(上礼堂)・内陣と三つに分けられていま。内陣は石畳で外陣より一段低くなっています。
内陣にある不滅の燈明は神秘千年の光を放ち神秘感を漂寄せています。蟇股は廻廊も内陣も同様です。神獣や草花が彫刻されていま
中堂側廻廊蟇股 1955年に撮影されたものです
大改修終了後の、色鮮やかに甦った蟇股がみたいですね。
鐘楼 県指定 再興:1624~44 桁行一間 梁間一間 一重 切妻造 銅板葺
全体を丹塗りとし、頭貫上部の蟇股と大瓶束に取りつく笈型には、花鳥を題材とした彫刻が施され、極彩色に塗装されています. 2005年に補修工事
大講堂(旧讃仏堂) 国重文 再建:1963年 桁行七間 梁間六間 一重 入母屋造 向拝三間 銅版葺 壮大な禅宗様建築
1642年完成の裳階付建築だった旧大講堂は1956年放火で焼失。
1963年に山麓坂本にあった旧讃仏堂を解体して移し再建されました。僧侶が学問研鑽する道場です。
正面の蟇股は極彩色の虎~龍~唐獅子と牡丹です
戒壇院 国重文 建立:1678 桁行三間 梁間三間 一重 裳階付 宝形 栩葺(くぬぎぶき) 蟇股はなし
最澄入滅後、間もなく勅許された戒壇は828年に始めて堂が建立されました。
内部宝三間戒壇 天井格格子 上層屋根正面に唐破風がつきます
阿弥陀堂
4
内陣
蟇股
阿弥陀堂鐘楼 県指定 建立:1596^1867 桁行一間 梁間一間 一重 切妻造 銅板葺
法華総持院東塔と蟇股 再建:1980年 多宝塔型の塔ですが、上層部が方形です
蟇股
山王院
浄土院
塔と西塔の中間に位置し、杉並木に囲われた深い静寂の中に独立した一画を構えています。
正門、表門、拝殿、拝殿から渡廊で政所、阿弥陀堂に接続。拝殿の背後には伝教大師御廟を配します。
浄土院東堂内の蟇股
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庫裏
伝教大師御廟
御廟の正面に唐門、最澄の廟があります。山内で最も神聖な場所とされています。
椿堂
常行堂・法華堂(常行三昧堂と常座三昧堂) 国重文 建立:1595年 桁行五間 梁間五間 一重 宝形造 向拝一間 とち葺)
宝造形の美しい胴が二つ並んでいます。二つの堂の間に渡廊を配し、全体の形が天秤棒に似ることから「にない堂」と称されます
慈恵院
行者堂
横川鐘楼 国重文 建立:18世紀前期 桁行一間 梁間一間 一重 切妻造 桟瓦葺 朱塗りの鐘楼です
転法輪堂(釈迦堂) 国重文 建立:1347年 桁行七間 梁間七間 一重 入母屋造 中備間斗束 妻虹梁大瓶束 とち葺形銅板葺
園城寺弥勒堂を、1595年に豊臣秀吉が移築させました。現存する延暦寺の建築で最古のものです。外陣床拭板張り 内陣土間
根本如宝堂
蟇股
四季講堂(元三大師堂) 滋賀県有系文化財 再建:1652年 桁行五間 梁間四間 一重 入母屋造 瓦棒銅板葺
慈恵大師(元三大師)良源の住房後に建ち、967年以来、年間春夏秋冬の四回法華経の論議がされる。横川地域で唯一の子建築です
正面中央は双折唐戸、その左右に蔀戸と舞良戸をはめ、側面は殆どが板壁に囲まれた素木造で、低い縁高欄が周囲を囲んでいる風格のある建物。
蟇股に時代の特色がよく現れています。
無動谷
手水舎
明王院
日吉大社
滋賀県大津市坂本
滋賀県内における最も大きな神社の一つで、創建は神代に遡るともいわれています。平安京の鬼門の鎮護・比叡山延暦寺の守護神で、全国3800余の日吉神社の総本社です。
1572年の織田信長による比叡山焼討の際に焦土化し、豊臣秀吉が援助して再興したのが現在の姿です。
神域は比叡山の東山麓の広大な景勝地を占め、大小多数の社殿が散在しています。東西両本宮と宇佐宮本殿の三棟は「日吉造」です。
楼門、拝殿、本殿が中心線上に並ぶ社殿配置の諸建築は、1571年に信長に焼かれ、現在の建築は近世以降の再興です。
山王鳥居は当社だけもの、神体山の中腹に建つ懸造の牛尾・三宮の摂社、権現造の末社・東照宮、石造橋の日吉三橋など見どこらが多くあります。
日吉大社は近江大工の守護神であり、穴太の石工は日吉大社の礎石の修理技術者で下。
蟇股は意外と少ないです。
山王鳥居 上部に破風型のついた鳥居
社殿は山王七社と呼ばれる西本宮、八王子山、三宮宮、宇佐宮、白山宮、樹下宮、東本宮の七つから構成されており、その配置が北斗七星型に配されています。
西本宮楼門 国重文 再建:1586 三間一戸楼門 入母屋造 檜皮葺
蟇股
西本宮拝殿 国重文 再建:1586 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 妻入り 檜皮葺
西本宮本殿 国宝 再建:1586 桁行五間 梁間三間 日吉造 檜皮葺
東本宮楼門 国重文 再建:1573~93 三間一戸楼門 入母屋蔵 檜皮葺
蟇股
東本宮拝殿 国重文 再興:1596 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 妻入り 派和田葺
東本宮本殿 国宝 再建:1596 桁行五間 梁間三間 日吉造 檜皮葺
神輿庫
摂社 宇佐宮拝殿 国重文 再建:1598 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 妻入り 檜皮葺
摂社宇佐宮本殿 国重文 再建:1598 桁行五間 梁間三間 日吉造 檜皮葺
摂社白山宮拝殿
本殿
摂社樹下神社拝殿
本殿
摂社牛尾神社と摂社三宮宮
両神社のある牛尾山(八王子山)は標高378mの円錐形の美しい山容をした山で、古くから神霊の宿る神体山として崇敬を集めてきました。
山頂ちかくにある二つの社殿の屋根の部分を遠くからも見ることが出来ます。頂上近くに「黄金大巌」と称される大きな磐座があります。
山王祭の一カ月前に境内から神輿を担ぎ上げ、4月12日にかついで下ろす行事が行われ、山王祭が始まります。
七曲りの山道を曲がりきると懸崖造の社殿、磐座が見えてきます。右が牛尾神社本殿と拝殿、左側に三宮宮の本殿と拝殿が立ち並びます。
摂社三宮宮本殿及び拝殿 国重文 建立:1599 三間社流造 檜皮葺/ 桁行四間 はりま五間 一重 入母屋造 檜皮葺 懸崖造(舞台造)
摂社牛尾神社本殿及び拝殿 国重文 建立:1595 三間社流造 檜皮葺/ 桁行三間 梁間五間 一重 入母屋造 檜皮葺 懸崖造(舞台造)
眺望は抜群
日吉三橋
山王宮曼荼羅上部(奈良国立博物館蔵)
日吉大社配置図
末社 日吉東照宮 「 蟇股あちこち 27 」にて報告済
権現造で、天海僧正により出来ました。拝殿、石の間、本殿が連なってエ字形平面を梨、江戸初期の建築らしく装飾が非常に華麗です。
摂社牛尾神社拝殿 国重文 再建:1595 桁行三間 梁間五間 一重 正面入母屋造 背面本殿に接続 側面軒唐破風付 檜皮葺 懸造
摂社牛尾神社本殿 国重文 再建:1596 檜皮葺
摂社三宮神社拝殿 国重文 再建:1599 桁行四間梁間五間 一重 正面入母屋造 背面本殿に接続 軒唐破風 檜皮葺
末社東照宮 別紙参照
石橋三橋
1739 西教寺 本堂
滋賀県大津市坂本五丁目13-1
天台真盛宗の総本山の寺院で、天台系仏教の一派として末寺は400カ寺以上とされます。開基は聖徳太子とする伝承もあるようですが定かでないようです。
室町時代(1468年)、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えました。それ以前の歴史は明らかでないようです。
1571年の信長による比叡山焼討の際に西教寺も焼失しました。本堂は焼失の3年後に復興しました。現存する本堂は1739年に上棟されたものです。
比叡山焼討後、滋賀郡を与えられ坂本城を築いた明智光秀は寺の復興にも尽力したつながりもあってか、明智光秀一族の墓が境内に祀られています。
総門をくぐると、参道の左右に六カ寺の子院が並びます。総門は坂本状の城門を移築したものです。
西教寺は聖徳太子が開祖された寺で、618年に大窪山の山号を、669年に西教寺の寺号を下賜されたと伝わっています。
参道を直進すると左側に「宗祖大師殿」へ行く石段があります。
唐門と宗祖大師殿
宗祖真盛上人のお木像をお祀りしているお堂です。上人は1486年に入寺され、堂塔と教法を再建されました。
開山堂は天正9年(1581)に西教寺九代真知上人の発願で造立された。
唐門 国登録文化財 建立:大正時代 木造四脚門・瓦葺・間口4.2m・左右袖塀全長3m・及び築地塀全長3.8m
写真
大師殿の正面、東向きに建つ。一間一戸の四脚門。屋根は檜皮葺で前後軒唐破風付き
一間一戸の四脚門。屋根は檜皮葺で前後軒唐破風付き。
細部
組物は三斗組と簡単ですが、阿形麒麟・吽形麒麟や紅梁上の龍や獅子など多彩な彫刻、彫物欄間、精緻な飾金具など華やかな造形である。
ここから見る琵琶湖は美しい。
宗祖大師殿 国登録文化財 建立:1581 入母屋造,桟瓦葺、正面軒唐破風付で、丸柱・舟肘木の軸部・疎垂木・木舞打の軒廻り・擬宝珠高欄付など格式高い意匠です
国登録文化財指定の「宗祖大師殿通用門」と「大師殿水屋」
大師殿の西側に建つ。
基壇上に建つ一間一戸の平唐門で、屋根は桧皮葺、軒は大疎垂木。簡素なつりですが規模が大きく、大柄な蟇股が意匠の核になっています。
大師殿水屋は長押しで固めた6本柱で、6組に汲んだ桁を支えています。
勅使門 一間一戸の四脚門 桐妻本瓦葺 屋根瓦や丁寧な彫刻が配されています。
本堂 国重文 再建:1739 桁行七間 梁間六間 一間向拝 総欅 一重 入母屋造 本瓦葺 欅の用材は紀州徳川家からの寄進とか。
焼き打ちの跡の1572年に再興されましたが、1718年に価値竹計画1739年に上棟されました。正面は両脇の間が蔀、そのほか桟唐戸です。
本堂の各部分に装飾彫刻を盛んに用いた傑作仏堂で、これに関係した棟梁や彫師なども優秀な人達であったと思われます。
風鈴参道通り抜け 昨年より実施
妻部 三斗組を重ねています
三間の向拝 蟇股をはじめ装飾彫刻を多く配しています
蟇股は三個 龍虎
外陣や欄間の峰刻
蟇股は身舎四面の柱間に、七個ずつ配されています。一例を並べます。
客殿 国重文 再建:1589 書院造 桁行27.1m 梁間16.3m 一重 柿葺 東向 伏見城の殿舎の移築との説があります
桃山様式を伝える建物で、二列に配置された多くの間が並びます。襖や壁、腰障子には狩野派の絵が飾ってあります。小堀遠州作の庭園があります
客殿通用門 国登録文化財:客殿の何面を区切る板塀の間に設けられた平唐門です。
屋根は桧皮葺、妻に彫物懸魚をつける。簡素な意匠ですが全体のバランスがいいとされます。
神使 護猿
西教寺には猿の造りがやたらと多いです。屋根上や蟇股を主とする彫刻に見られます。
「見代わりの手白猿 てじろのましら」
室町時代の1493年に起こった徳政一揆の際に、山門の僧兵が西教寺に攻め入った時、一匹の手白の猿が真教上人の身代わりとなって鉦をたたき続けて難を逃れたという伝承が残っています。
そのことから境内に猿の作り物が多くあります。
本坊‐庫裏
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約150人が宿泊できる。
本坊は庫裏のこと。当初は、明智光秀から坂本城の陣屋を寄進されたものでした。現建物は1958年に完成した。昭和の木造建築としては県下で最大のもので、約150人が宿泊できる規模です。本坊庭園も付属しています
玄関周りの装飾
書院 国登録文化財
客殿 国重文 再建:1597 桁行十二間 梁間八間 柿葺 入母屋造 北面切妻 大谷吉継の母らの寄進
納骨堂 国登録文化財 入母屋造、桟瓦葺の本屋を高くして、周囲に庇を廻す。軒は本屋・庇とも一軒疎垂木・木舞打で軽快です。
本堂の東南に建ち、棟を直交させた動きのある外観となっている
位牌堂
鐘楼 大津市指定 再建:1831 三間二間、袴腰付き、入母屋造、本瓦葺で全体として均整の取れた美しい姿の建築です
梵鐘は平安時代鋳造されたもので国重文です。もともとは坂本城の陣鐘で、明智光秀の寄進です。総門と共に坂本状の遺構です
細部彫刻もすぐれています。
4面に彫られた猿の彫刻が面白い
本堂横の石段を約90段登ります。
真盛上人廟 国登録文化財 建立:1842 四半敷の基壇に建ち、平面は桁裄一間・梁間二間、方形で正面に向拝を設けています。
屋根は宝形造で、軒は二間繁垂木、組物が二手先で先端に絵様をつけた尾垂木を組み、蟇股や手狭など彫刻が豊かです。
正面中央は花狭間、桟唐戸とし、両脇に花頭窓を配しています。精巧な彫刻が施され、和様と唐様の折衷です。
蟇股が四面に配されています。(一部です)
塔頭の蟇股
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