Monthly Web Magazine Aug. 2022
■ 失われた建造物 =重文跡を訪ねて= 大鳥大社本殿 酒井英樹
明治30年(1897)に「古社寺保存法」に基づいて特別保存建造物の指定から125年。5578棟(令和4年7月現在)の建造物が重要文化財(古社寺保存法での特別保存建造物、国宝保存法での国宝を含む)に指定されたが、第二次世界大戦末期の戦災等による滅失で242棟の建造物が灰燼となっている。それらの跡地を訪れてみる。
3回目は大阪府堺市に鎮座する大鳥大社。
和泉国の一ノ宮であり、古来より防災雨祈の御祈願社の一つ。
大鳥大社
延長5年(927)に完成した延喜式神名帳所載の神社。
社殿は、天正年間(1573-1592)の兵乱によって炎上し、慶長7年(1602)豊臣秀頼によって再興された。
本殿はその後再び焼失し、寛文2年(1662)に江戸幕府4代将軍徳川家綱の寄進で再建された。
この本殿は大鳥造という古来の神社建築形式を伝える独特の形式として貴重なことから、明治35年(1902)に『古社寺保存法』における特別保護建造物(現法の文化財保護法における重要文化財に相当)に指定された。
しかし、わずか3年後の明治38年(1905)8月、落雷による火災で焼失した。
そのためか残念ながら焼失前の本殿を写した古写真は見つかっていない。
焼失した旧本殿の図面(『戦災等による焼失文化財』文化庁 より)
焼失した本殿は大鳥造。神社建築形式としては妻入形式の最古とされる出雲造(代表例:出雲大社本殿)に酷似しているが、住吉造(代表例:住吉大社本殿)へ移行する途上に位置すると考えられている。特別保護建造物としての指定形式は住吉造となっていた。
出雲大社本殿(島根県出雲市)
住吉大社本殿(第三殿)(大阪府大阪市住吉区)
跡地には、明治43年(1910)に従来の方式で再建された本殿が立つ。焼失後わずか5年で旧規に基づき再建された本殿は規模及び形式は焼失前の本殿をほぼ踏襲している。
再建された大鳥大社本殿
大鳥大社本殿は元の位置に再建され、形式や規模はほぼ踏襲されていると考えられ焼失した元の本殿を彷彿させることができる。
一方、焼失した本殿の蟇股は寛文再建時の特色を持っていたとされるが、明治再建の現本殿は瑞垣等で近づくことができず訪問時には確認ができなかった。
大鳥大社本殿は神社形式に他にない形式であることが特筆であり、再建時の特色の違いがあってもよいのではと勝手に思ってしまう。
現在の本殿も再建されて110年が経過した。
近い将来、登録文化財に登録されるかもしれないと感じながら大鳥神社を後にした。
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中