JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Sep. 2022


■■■■■ Topics by Reporters

■蟇股あちこち 29 中山辰夫


1530 知恩院 

京都市東山区新橋通大和大路東入る三丁目林下野

知恩院は東山華頂山の山麓に伽藍を構える浄土宗総本山です。 
法然が住まいとした大谷吉水の房に始まり、法然が没した後、大谷廟所として、弟子に相伝され、室町後期に浄土宗本山としての寺格を確立、 さらに近世初頭、家康をはじめとする徳川家の援助で飛躍的に寺勢を拡張しました。 
寺地は三段に分かれ、上段には勢至堂、御廟が建ち、中世知恩院の面影を留めています。中段と下段は近世初期に拡張され、中段には御影堂や大方丈、小方丈、唐門、経蔵などの主要建造物が、下段には三門と総門、塔頭が配されています。
  

上段より蟇股を軸にめぐります

廟所の門をくぐると真正面に勢至堂が見えます。 勢至堂は知恩院発祥の地 知恩院最古の建物です。

勢至堂(旧御影堂) 国重文 建立:1530 正面七間、側面七間 組物舟肘木 二軒疎垂木 入母屋蔵 本瓦葺
    
浄土宗本堂特有の空間構成を持つ最古の遺構. 住宅風の簡素な外観、外陣・内陣・脇陣からなります。 内部のみ装飾する意匠構成です。
側廻り和様舟肘木、来迎柱廻り禅宗棟、住宅風の簡素な外観の堂です。 蔀戸を立てる部屋境など宗派的な特色を示しています。

御廟 専修念佛の本拠であり、法然上人の入寂の聖跡です。 法然上人の御遺骨をご奉安する廟堂です。

拝殿と蟇股 建立1710 桧皮葺 身舎の外・内に多く配されています
      

御門の彫刻
   

御廟 府指定 建立:1613 桁行三間梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺 
  
勢至堂の東側の高台にある大型の廟殿、繊細で優美な意匠をもち、法然廟の代表的な遺構です

欄間の彫刻 「孔雀に牡丹」「梅に鶯」のど多く配されていますが見えません (一部です)
   

蟇股
     
「雲に龍」「桐に鳳凰」「梅に鶯」「雲に麒麟」「松に鶴」「孔雀に牡丹」などの桃山様式の華麗な彫刻が施されています(一部しか見えません)

親鸞上人御廟
   

濡れ髪大明神 近くに千姫のお墓があります
   

権現堂
  

中段に入ります
護摩堂
   

小方丈 国重文 建立:1641 桁行22,7m梁間18,7m 一重 入母屋造 桧皮葺 歩廊付:桁行五間 梁間一間 一重 切妻造 両妻形破風付
    
仏間も持たない内向きの書院です 襖絵も水墨画で穏やかです 将軍上洛の際の宿所 二十五菩薩の庭(方丈庭園・国指定)

大方丈 国重文 建立:1641 桁行34.5m 梁間25.1m 一重 入母屋造 桧皮葺 玄関:桁行四間 梁間一間 一重 向拝破風造 桧皮葺
      
正面に軒唐破風を付ける典型的な方丈形式 東端に上段と中段、下段を設け、上段には床と棚、付書院、張台構えを備える、前部は方丈庭園

大方丈・修会堂へ行く廻廊-歩廊 
    

玄関
   

唐門 国重文 建立:1641 四脚門 前後唐破風造 側面入母屋 桧皮葺 
外側
   
勅使門とも呼ばれます
内側
   

蟇股は牡丹唐草、鯉魚に乗る老人、巻物を持ち鶴に乗る老人および松を配した細かな彫刻がなされています。
これは桃山時代に流行した故事伝説に基づくものであるとされます。

経蔵 国重文 建立:1621 桁行三間 梁間三間 一重 裳階付 宝形造 桧皮葺
    

納骨堂と大鐘楼 国重文 建立:1678 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 本瓦葺
    
1636年に鋳造された重さ70tの大鐘を吊るす 大鐘は日本三大名鐘の一つです

宝仏殿
   

三上人遠忌記念御水屋
    

 

集会堂(しゅうえどう) 国重文 建立:1635 桁行42.9m 梁間23.7m 一重 入母屋蔵 本瓦葺
       
往古は「衆会堂」とも称し、俗に千畳敷といわれるほど広いお堂で、御影堂の北側に隣接し、渡り廊下で御影堂と結ばれています。明治5年(1872)の京都博覧会の会場にもなりました。

本堂(御影堂) 国宝 再建:1639 桁行十一間梁間九間 一重 入母屋造 正面向拝五間 背面向拝三間 本瓦葺 歩廊付 桧皮葺
 妻二重虹梁大瓶束 
    
御影堂は、宗祖法然上人を祀る堂で、役割としても・場所としても、寺の中心にある建物です。徳川家康によって建てられた前身の本堂が1633年に称した後、家光の援助で1639年に阿意見されたもので木造建築として全国屈指の規模を誇っています。2005年から2019年まで修理工事が行われました。

竣工時の本堂外観と本堂内部内陣と須弥壇・宮殿
   
軒は二軒垂木、妻飾は二重虹梁大瓶束架橋で、虹梁間の中央に成りの高い蟇股を組み、小壁は牡丹唐草ので飾り、破風には三花懸鵜を付けています。
全体として外観は和様で纏めながら、内部は禅宗様の巧みな技法を駆使し、柱が林立した空間をつくり、浄土宗本堂の建築的特徴を最大限にあらわした遺構です。

妻飾り 二重虹梁大瓶束 牡丹と蟇股に鳳凰。
   
一重虹梁上の中央に大きな蟇股を据えてポリ、子の構成は集會堂や大庫裏と共通しています。虹梁はケヤキです。一重虹梁下は波の彫刻です。
二か所に蟇股が配され、別材でつくられた飛龍の彫刻が付いています。一重虹梁上の蟇股派、幅っ屋久4.5m、成約1・5m、中心には径約60cmの円形の枠内に牡丹花の彫刻がかなり前方へ追い出して取りついています。蟇股の周囲は透かし彫りの牡丹唐草です。

向拝や軒廻りには彫刻が施されています。
 
装飾は向拝部分に集中しています。木鼻は獏、ずらりと並ぶ手狭は獏、象、蓮、龍、迦陵頻伽、天女、などが彫られています。
      

向拝の蟇股は、南向拝に5個、北向拝に3個配しています
 

唐獅子(表・裏)
  

虎(表・裏)
  

中央 龍(表・裏)
  
蟇股は、すべて表側が脚の全面よりも前に出ており、又。脚の内側の輪郭よりも少しはみ出して、脚に被るような意匠とされています。
特に中央の龍については、更に大きくはみ出しており、体が蟇股大きく巻きつく格好につくられています。
不明
 

 麒麟(表・裏)
  

北側の向拝の蟇股

北向拝東 表・裏
  

中央 表・裏 
  

北向拝西 表・裏
 

蟇股向かって左から 犀(裏は波)、麒麟(裏は雲)、龍(中心 裏は波)、虎(裏は笹)、 唐獅子(裏は牡丹)、手挟向かって左から蓮、龍、迦陵頻伽、天女、龍、蓮、

阿弥陀堂 府指定 再建:1910 入母屋造 本瓦葺 裳階に向拝三間付 廊下は御影堂につながります
  
明治時代に建てられた唯一の建物です。 最初は勢至堂の前に建てられましたが、1710年に現在の地に移築されました。荒廃が進み再建されました。
堂正面に掲げられた「大谷寺」の勅額は後奈良天皇の宸筆で、知恩院の寺号をあらわしています。
ご本尊は、高さ2.7メートルの阿弥陀如来坐像です。現在は得度式や各種道場、結婚式などに使われています

妻部~向拝~蟇股
  

蟇股は向拝に3個配されています
   

霊塔
    
この多宝塔は、昭和33年(1958)に然上人の七百五十年大遠忌に建立されたものである。昭和の建物でコンクリート造りの多宝塔です

堂宇 女坂を下りる左側に見えます
   

社務所
  

三門 国重文 建立:1621 五間三戸二階二重門 入母屋造 本瓦葺
  
浄土宗の寺院に禅宗三門形式が最初に用いられた、わが国最大級の二重門 三門は三解脱門の略です。


仁和寺

京都市右京区御室大内

史跡双ヶ丘の北東に所在する真言宗御室派の総本山です。
886年に光孝天皇が鎮護国家の道場として造営を発願、その遺志を宇多天皇が引継ぎ仁和4年(888年)に金堂が落成し、年号をとって仁和寺と号しました。
創建から鎌倉時代初期までが興隆期で、広大な寺域に歴代の天皇や門跡により諸堂社や多くの院家や小院が造営されました。しかし中世以降は次第に寺運が傾き、応仁の乱の兵火で全山の堂宇が炎上し、衰微に至りました。
復興は1641年から1647年にかけて徳川幕府の援助で行われました。現在みる寺観は概ねこの時のものです。当時御所の改造・再建が行われており、仁和寺には金堂に紫宸殿が、御影堂には清涼殿が、宸殿には常御殿が移築されました。江戸時代後期には、回遊庭園に飛濤亭、朗廊亭の茶室が移築されました。
境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された構造物が並びます。
仁王門の後方に中門・金堂が軸線上に並び、東側に五重塔、九所明神本殿・経蔵、西側に観音堂・鐘楼・御影堂・御影堂中門が建ち、中門前方西側の一角を本坊(門責跡御所)が占めています。14棟が国宝・国重文に指定されています。
平成6年医世界遺産委登録されました。
 社殿の並び順に蟇股を中心に境内を巡ります。
 

二王門 国重文 建立:1641~44 五間三戸二階二重門 入母屋造 本瓦葺
 
板蟇股が随所に配されています。
     

中門 国重文 建立:1614~44 三間一戸八脚門 切妻造 本瓦葺
     
二重虹梁蟇股が用いられています。

金堂 国宝 建立:1613 1643移建 桁行七間 梁間五間 一重 向拝一間 組物無し 三間繁垂木 入母屋造 妻扠首組 本瓦葺(元は檜皮葺)
    
慶長期造営の紫宸殿を移築 大規模な内裏建築を知る上で貴重な遺構とされます。
仏堂風の本瓦葺屋根に対して、蔀と妻戸、そして四周の組高欄を付けた縁は宮殿風。蔀の内外の両面に小組の黒塗りの組子を打ち、間の板には胡粉を塗り、蔀や妻戸などの建具、垂木、木鼻、手挟の木口に透彫の金具を打つのも、紫宸殿の意匠を受け継いでいます。

向背の蟇股
     
正面外観にアクセントを与える向拝の虹梁上に置かれる蟇股には牡丹に獅子、手挟には牡丹と鳳凰が彫られています。

内陣内部
 
内陣は、母屋に太い虹梁を架け、その上に彫刻のある蟇股とその両脇に大瓶束をおき、さらに虹梁を架して豕扠首を置き、棟木を受けています。

五重塔 国重文 建立:1644 三間五重塔婆 本瓦葺
     

九所明神本殿 国重文 建立:1641~44 中殿:一間社流造 柿葺 左右殿:四間社流造 見世棚造 柿葺 
社殿 2004年から06年にかけて行われた修理工事竣工時のものです。本殿、中殿、左右殿の3棟よりなります。
    
中殿
   
左殿・右殿
  
本殿、中殿、左右殿の3棟よりなります。現在の建物は江戸時代の再興時に建てられたものです。
三殿のうち中殿が最も装飾的で、細部にも当代の様式手法が見られます。本殿前の石燈籠は1644年の刻名が残っています。

蟇股
      

経堂 国重文 建立:1641~44 桃山時代・江戸時代に移築 桁行三間 梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺 八角輪蔵付
  

観音堂 国重文 建立:1641~44 桁行五間 梁間五間 一重 入母屋造 向拝一間 本瓦葺
   

鐘楼 国重文 建立:1644 桁行三間 梁間二間 入母屋造 袴腰付 本瓦葺
  

御影堂 国宝 建立:桃山時代・江戸時代に移築 桁行五間 梁間五間 一重 組物舟肘木 二軒疎垂木 宝形造 向背一間 桧皮葺 
    
慶長内裏清涼殿の古材を用いて再建 
蟇股
   

御影堂中門 国重文 建立:1641~44 一間平唐門 桧皮葺
   

勅使門 建立:1914間口5.2m 左右袖塀付 白書院正面に東面して建つ四脚門、前後唐破風造 側面入母屋、檜皮葺。

本願寺唐門を模した形式をもち、壁面や桟唐戸などを、花菱や鳳凰、唐草などを図案化した流麗な透彫りで埋め尽くします。
亀岡末吉の意匠感覚が発揮された見応えのある大型の門です
参道側より
        
白書側より
      

ここからは、国登録文化財に指定されています、大玄関と皇族門、白書院、宸殿、黒書院、零明院とその周辺をまとめます。
その先はすべて御殿内にあります。御殿は仁和寺の本坊(僧侶の住居)で、その入口は本坊表門(国重要文化財)です。
ここは仁和寺の創建者、宇多天皇が出家後に「御室」と呼ばれる僧坊を建てた場所でもあり、現在は御所風の建物が建つことから「旧御室御所」とも呼ばれます。

本坊表門 国重文 建立:桃山 一間薬医門 本瓦葺
   
慶長内裏清涼殿の古材を用いて再建されました。 

大玄関 建築:1890 木造平屋建 瓦葺一部檜皮葺 建築面積:127㎡ 渡廊下付 造形の規範となっている。
  
御殿群南端に東面して建つ。桁行12m梁間7.0m、入母屋造桟瓦葺で、東正面に間口6.0m近い大きな唐破風造檜皮葺の車寄を構える。
細部では蟇股や大瓶束の笈形に秀麗な彫刻を施すなど、威厳と華やかさを備えた大型の玄関です 
蟇股
    

大玄関と白書院~霊明殿までは廊下は廊下でつながっています 板蟇股が配置されています
       

霊明殿
宸殿の北東にみえる霊明殿は、歴代門跡の御霊を祀り、仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に建立された。
建築:1911(明治44) 木造平屋建 檜皮葺 建築面積:53㎡ 渡廊下付 
黒書院の北側に渡り廊下を介して南面して建ち、方三間、宝形造、一間向拝付、檜皮葺である。設計は亀岡末吉
    
内部は一室で三間幅の仏壇を設け、折上小組格天井を張る。平安後期頃の様式を意識した構成としています。

蟇股
     
蟇股には亀岡末吉の得意とした唐草を図案化した彫刻を施しています。

 


1709 赤神神社 五社堂 

平成13年12月、保存修理工事完了

秋田県男鹿市船川港本山門前字祓川35

神社は男鹿半島の南端、半島最高峰の本山(715m)の南側中腹に祀られています。標高180mに位置します。
860年慈覚大師円仁の開山とされます。1391年に天台宗より真言宗に転じ、中世を通じて歴代領主の崇敬篤く、江戸まで続くも、江戸時代後期より衰退、1870年に別当を廃寺とし赤神神社として現在に至ります。
伽藍配置は三地区に分かれます。浜辺の祓川・門前地区、別当・諸房の存在した平岳地区、五社堂境内地区です。
五社堂は、1216年僧円転が比叡山の鎮守、山王七社に倣い造営、後に三社をまとめて五社としました。
五社堂は古い歴史を有する赤神権現信仰に関わる貴重な遺構で、山中に同形式の社殿が並び建つ様子は壮観で、往時は信仰が盛んであったことを物語っています。

全景 左より十禅師堂、八王子堂、赤神権現堂、客人権現堂、三の宮堂
    

建物は規模に大小ありますが、ほぼ同形式です。

構造及び形式 五社共通
桁行二間 梁間三間 正面入母屋造 背面切妻造 妻入向拝一間 唐破風造 鉄板葺 両脇背後に脇障子 正面両脇間に花頭形の框と格子を付ける

各社とも、蟇股内に花鳥、動物、人物などの丸彫彫刻を入れるほか、向拝頭貫側面に草花の浮彫、頭貫木鼻に獅子や象頭の丸彫彫刻、手挟に草花の彫刻を施し、要所を締めています。蟇股はケヤキ材。蟇股の形や向拝頭貫の浮彫など、秋田県の近世社寺建築の特色が表れており価値が高いとされます。

■十禅師堂 国重文 建立:1709 
  

蟇股 正面中、東面前、東面後、西面前、西面後の順です。 蟇股はすべて本蟇股(片蓋)です。
          

手挟・木鼻と水引虹梁
   

■八王子堂 国重文 建立:1709
   

蟇股 正面中、東面前東面後、西面前、西面後
         

手挟・木鼻と水引虹梁
     

■赤神権現堂 国重文 建立:1703
    
赤神権現堂は規模が大きいだけでなく、組物や内部天井を格天井にするなど格の高い仕様になっています

蟇股 
正面とその裏面
      
鳳凰の浮彫彫刻で、彫刻は一寸ほど外画・外面からはみ出ています。両肩に耳の付いた「肩蓑付蟇股」です。

正面中央 西面 東面
     
西面前・後 東面前・後
    

手挟・木鼻・水引虹梁
         

内厨子 国重文 一間厨子 室町末期の造 
 

■客人権現堂 国重文 建立:1703
   

蟇股
正面 龍の丸彫彫刻です
   
正面中・東面前、後
    
西面前・後
    

手狭・木鼻・水引虹梁
     

■三の宮堂 国重文 建立:1703
   
 
蟇股
正面中央
   
東面前・東面後
    
西面前・後
   

手狭・木鼻・水引虹梁
       

 


 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中