JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Nov. 2022


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■蟇股あちこち 31 中山辰夫

今月は姫路市内の古刹、圓教寺、随願寺、広峯神社と弥勒寺です。いずれも見ごたえのある建造物です。
 
加えて十島(としま)菅原神社(熊本県)です。


圓教寺

兵庫県姫路市書写2968

圓教寺は、966年性空上人によっては遺残された古刹です。
西の比叡ともいわれ、341mの書写山山頂を寺地とする天台宗の道場で、西国三十三か所観音霊場第27番札所です。
九州で修行した性空上人が播磨の地で紫雲たなびくこの山を発見し開いたとされます。
上人の徳が広く知れ渡り、多くの皇族貴族・武将の崇敬を受け、伽藍や塔頭の建ち並ぶ寺院となりました。
杉木立の境内は国史跡に指定され、多くの建物が並びます。
平安時代にスタートした寺院に相応しい多くの伝説を残し、今に受け継がれています。境内全体が心休まる空間を形成しています。

山内に散在する堂宇を、蟇股に軸点をおいて巡ります。

■山門

   
失火鵜壽量院 国重文
   
塔頭の一つ。1012年に始まり、後白河法皇参籠の行宮でした、現在の客殿、庫裏は1688年に再建。棟門、中門、玄関、客殿、庭園、築地塀など

■本坊事務所
       

■摩尼殿 国登録・県指定 再興:1933 設計:竹田吾一棟梁:伊藤平左衛門守道(9代) 桁行九間 梁間七間 入母屋造 本瓦葺 向拝一間 唐破風造
      
書写山の中心をなす圓教寺の本堂です。岩山の中腹に建つ舞台造り。970年の創建。幾度の火災で焼失。
1921年に焼失した前建物を踏襲して復元された。
伝統的な様式を継承しつつ、木鼻や蟇股などの彫刻に近代的な息吹が感じられるとされます。
細部
       

蟇股は向拝と身舎の周り四面に配されています
 

向拝
     

蟇股の身舎配置状況
   

正面蟇股
       

■十妙院 国重文
   
塔頭の一つ 創立年代不詳 中世末には存在していたとされます。客殿庫裏は1691年の建立。表門、唐門、庫裏、土塀、客殿、庭園が国重文に含まれる

■白山権現
    
厳しい山道を登ります

 

■三つの堂 大講堂、食堂、常行堂が建っています
 

■大講堂 国重文 再建:1440 正面七間側面六間 二重 組物上下重共に二手先 中備間斗束 二軒繁垂木 入母屋造 妻扠組
   
規模壮大 室町中期に建てられた圓教寺の本堂にあたる学問と修業の場です。外陣、内陣、内々陣に分かれています。
   
本尊の釈迦三尊像(国重文)が安置されています。大講堂の創建(987年)時に一緒に造立されました
 

■食堂 国重文 建立:1400~86 正面十五間側面四間 一重二階 組物二手先 中備間斗束 二軒繁垂木 入母屋造 本瓦葺
    
妻扠首組 腰組大仏様三手先 腰に高欄を廻す二階建てはめずらしいです。
後白河法皇の勅願で室町期に建てられ、本来は修行僧の寝食のための建物でした。現在一階は写経道場、2階は寺法展示場です

■常行堂 国重文 建立:1453 正面五間 組物出三斗 中備間斗束 二軒繁垂木 入母屋造 妻虹梁大瓶束 本瓦葺 中門・楽屋・舞台付 
     
中門・楽屋・舞台付 中門・楽屋は合せて堂の付属廊です。舞台は廊寄り付き出し大講堂に向かっています。
本尊は阿弥陀如来像で常行三昧をするための堂でした。中央に張り出した舞台は大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのものです。
    

■金剛堂 国重文 建立:1545 正面三間側面三間 組物出三斗 中備正面蟇股 二軒繁垂木 入母屋造 妻大瓶束 本瓦葺
   
側柱面取角柱 組物外部のみ 内部も天井は鏡天井で、雲や飛天、蓮花などが彩色で描かれています。大半は剥落していますが・・。 

蟇股
     

■法華堂
   

■鐘楼
   

■本多家廟所
   
江戸時代に姫路城主であった本多家の墓所。本多家初めて姫路城主となった本多忠政が、父忠勝の墓を伊勢桑名から書写山へ移したのが始まりです。
蟇股
   

 

■奥之院
奥之院は開山性空上人の廟所です。
開山堂と鎮護である護法堂(若天社・乙天社)や 護法堂拝殿、不動堂で形成される奥之院は山内の聖地です。
護法堂は開山堂の手前に二棟ならんで建ち、開山上人に常随給仕した乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門の化身)の二童子を祀ります。
 
開山堂を中心として、まとまりのある開山廟所の空間を形成います。

■不動堂 再建:1967 宝形造、銅板葺、桁行2間、梁間2間、白木造、正面開口部には花頭窓が採用されています。
  
建立:1673~81年 1697年姫路城主・松平直矩が修理 1967年暴風で全壊護再建されました。 
山内唯一の丹塗り、「赤堂」と称されています。内部に乙天護法童子の本地仏である不動明王を安置。
蟇股 四面位配されています。 彫刻は桃樹、枇杷らしい樹、ボタン、雲に麒麟、ツバキでそれぞれ佳作とされます。
     

■開山堂 国重文 造営:1665 桁行五間 梁間六間 宝形造 1007年に上人の御像を造立し、その像を祀る堂として建立されました。
    
圓教寺の開祖、性空上人を祀る堂。書写山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続ける奥之院の中核です。
現在の建物は江戸初期の開山堂建築の代表作とされます。
礼堂風の外陣、中央を敷瓦の土間とした内陣をもち、外回りの和様組物間の菱支輪や外陣の海老虹梁に近代的な意匠が見られます。

軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士像の彫刻があり、その内の北西隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したという伝説で有名です。

蟇股
外回り及び内外陣境の中備賭して二十一カ所に配されています。
 
彫刻は二十四孝図や列仙伝の中国故事を題材にしたものの他に、花鳥図、吉祥紋、霊獣などを採用しています。
     

上記以外の蟇股の一覧
  

内外陣境の中央間にある橘紋は性空上人の橘家に由来するものとされます
 

優れた彫刻
  
力士は隅尾垂木上に乗り、垂木を支える様に置いてあります。三隅にあり、北西隅には彫刻の代わりに束を建てています。
頭貫端部の獅子鼻 ともに正面を向いている獅子は口を開けていますが、南北面に向く獅子は口を結んでいます

■護法堂
国重文 建立:1559 一間 社隅木入春日造 檜皮葺 
奥之院開山堂の右前に乙天社と若天社二棟が並びます。
性空上人に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子を祀っています。
同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ室町末期の神社建築の特色をよく表しています。 右が若天社 左が乙天社
  

■若天社 
   

向拝蟇股 正面:表側 ・ 裏側
      

東面蟇股 表側 ・ 裏側
   

正面蟇股 表側 ・ 裏側
   

西面蟇股 表側 ・ 裏側
   

■乙天社
   

向拝蟇股
  

東面蟇股(表側・裏側)
    

正面蟇股(表側・裏側)
   

西面蟇股(表側・裏側)
   

■護法堂拝殿 国重文 建立:1589 桁行七間 はりま二間 懸岳造 切妻造 本瓦葺 
    
弁慶の学問所と知られています 意匠的に優秀とされます


廣峯神社

姫路市広嶺山52

広峯神社は、兵庫県姫路市の広峰山山頂にある神社です。 天平の昔から名の見える古社です
全国にある牛頭天王の総本宮(ただし、八坂神社も牛頭天王総本宮を主張している)。京都・八坂神社の本社ともいわれます。
奈良時代に吉備真備が創建したと伝えられ、鎌倉時代は姫路地方の荘園管理者として大きな力を持っていました。
今の本殿は室町中期の建物、拝殿も同時代のものですが、江戸時代に大修理を受けました。
神社も周辺の峰々や谷々二は、多くの摂社屋末社と社家があり山上集落を形成していました。
現在本殿裏には末社数棟が集められています。

■境内地の入口 大鳥居から10分ほどで着きます
 

■表門(随神門) 市重要文化財 再建:1697 
     
左大臣、右大臣を祀っています。ここから先、牛馬の侵入を禁じていました。
大部分は和様ですが唐様も含まれます。全体の形がどっしりしていて、江戸中期の神社門として播磨地域の代表です

■拝殿 国重文 再建:1626 桁行十間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 国内でも最大級です
     
本殿の前面にある大きな拝殿で、社殿形式として重要とされます。
桁行11間の本殿に見合った大規模な拝殿で、本殿前に軒を接して建っています。
本殿と同時代のものですが、江戸時代に大修理が行われました。
威容ともいえる拝殿の大きさは、一堂に大勢のものが参拝する「代参」という広峯の信仰形態と結びついていたとされます。

向背の木鼻
   

右が本殿、左が拝殿 拝殿の後方に本殿が建っています。
  

■本殿 国重文 再建:1444 桁行十一間、梁間三間、一重、入母屋造、正面一間通り庇付、檜皮葺 宮殿3基
     
拝殿と同様に正面の幅が非常に大きいのが特徴です。本殿の中は、夫々に独立した正殿・右殿・左殿の三つの宮殿により構成されています。
神社建築としてめずらしい大規模な本殿です。

本殿三所
 

■境内に建つ摂社・ほかで、彫刻の目だった社を並べます(名称不詳もあります)
A~黒田官兵衛社~B
      
梁間・姫路で生まれ、当社で信仰心を学んだ官兵衛は、官兵衛の祖父が社家と交わり、黒田家秘伝の目薬を神社のお礼と一緒に売ってもらい財を成したとされます。官兵衛も御師たちと深く交わり他国の情報を耳にしたとされます。

恵比寿社
      

薬師堂
 

本殿後方にある摂社・末社めぐり 総数:11社
 

九つの穴
  
本殿の後に九つの穴が開いており、「こよみ」の神様がおられ、穴深く二は夫々の守り神が祀られているようです。古くは「九穴」と呼ばれていました。
この穴は一白水星、二黒土星など「九星」の信仰と結びついています。この穴から賽銭を入れ願い事をすると叶うと伝えられています。

摂社・末社の建築は江戸時代の全時代を通じた遺構群です。小規模ですが造作は丁寧で、技法にも優れています。技報の変遷が見られて貴重とされます。

稲荷社 姫路市指定 建立:1781 一間社流造 本瓦葺
     

山王権現社 姫路市指定 建立:1777 一間社流造 本瓦葺
       

庚申社 姫路市指定 建立:1751 一間社流造 本瓦葺
     

摂社・末社11棟
  



大河ドラマ「軍師官兵衛」の始まりの地である広峯神社。その舞台を思い出しながら、姫路中心市街地を一望するのも気持ちいいひと時です。
  

 


随願寺

兵庫県姫路市白国5

増位山随願寺は聖徳太子の命により高麗僧・恵便が開山し、のちに行基が中興しました。
播磨六山の一つとして、姫路市内では最古の寺と伝えられ書写山円教寺と並称される天台宗の名刹とされます。
1573年戦火で全山を焼失、1585年秀吉によって再興されました。
本格的な再興は江戸時代に行われ、姫路城城主で、文武両道で有名な榊原忠次が随願寺を菩提寺とし、再建、整備に努めました。
1692年建立の本堂は、全体が装飾的で,力感ある意匠によってまとめられており、江戸時代中期の大型仏堂として貴重とされます。
また開山堂などの諸堂宇は、いずれも意匠に優れ、本堂とともに宏壮な山中伽藍を形成しており、国重文の指定を受けています。
 
特に本堂は、全体が装飾的で、力感ある意匠によってまとめられ、江戸時代中期の大型仏堂として貴重とされます。

■本堂 国重文 建立:1692 桁行七間、梁間六間、向拝三間、背面張出附属、一重、入母屋造、本瓦葺 厨子1基
    
山中に宏壮な伽藍を構える天台宗の堂舎です。 榊原忠次が1868年に再建した。外陣の虹梁と蟇股が素晴しいです。

三間の向拝と蟇股 表側
    

裏側
   

木鼻と手挟
    

本堂妻飾
     

外陣内部 虹梁と蟇股が素晴しい
虹梁と虹梁との間には蟇股が多数配されています
    
蟇股 一部です
      

欄間の彫刻や天井絵 狩野探幽昨
    

木鼻・ほか
    

■経堂 国重文 建立:1692 桁行六間、梁間三間、向拝一間、一重、撞木造、本瓦葺附・石碑 一基 
      
右手が経堂で撞木(しゅもく)造りと呼ばれる珍しい構造で、礼堂と正堂の2棟がT字形に交差しています。意匠的に優秀とされます。

■開山堂 国重文 再建:1692 桁行三間、梁間三間、背面張出附属、一重、寄棟造、本瓦葺附 寄棟造、板葺" 厨子
     
中興の祖である行基の像を祀っています。この寺では最も古い。承応3年(1654)の銘を持つ燈籠が2基あります。

■鐘楼 国重文 建立:1692 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 と毘沙門堂 意匠的に優秀とされます
    

■唐門 国重文 建立:1692 桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺
     
姫路城主榊原忠次の墓所と唐門 意匠的に優秀とされます

 


1380 弥勒寺

兵庫県姫路市夢前町寺1051

天台宗の寺院です。
弥勒寺は、西国33ケ所の札所で知られます書写山を開基した性空上人が1000年に草庵を結んで隠棲したことに始まります。
其のため書写山の奥之院に位置づけされています。
1002年に花山法皇が訪れ、弥勒堂などの建立を勅名刺、以後弥勒寺と称しました。1380年に赤松義弘が本堂を建立を寄進しました。
境内には日本一の布袋像があります。

■山門
     

■本堂 国重文 再建:1380 桁行三間 梁間二間 庇付 向拝一間 入母屋造 本瓦葺 守護:赤松義則が建立
   
外陣は開放で、内陣の両脇及び後面に各一間の廂間を付属し、中央に唐様須磨檀を配置しています。
細工が施された内陣の折上小組格天井など各部の形式手法は南北朝の標本とされます。

蟇股が多く配されています

向拝正面中央の蟇股 表面、裏面
     

手挟
   

蟇股が本堂の身舎、堂内に配されています。並べます

1)   

2)  

3)    

4)   

5)   

6)  

7)  

その他の蟇股
      

蟇股と同様に、組物、天井にも丁寧な細工が見られます。
   

■開山堂厨子 県重文


■護法堂 二棟 姫路市文化財
 

布袋さま
 

 


1589 十島(としま)菅原神社


熊本県球磨郡相良村大字柳瀬字十島2240

1990年~2001年の間保存修理が行われました。

十島菅原神社は、菅原道真を祀る神社で、1278年~88年にかけて創建されたとされます。室町時代以降は相良氏から篤く崇敬されました。
境内の池には十の島があり、これが「十島」の由来といわれ、この一帯の地名にもなっています。人工的に造られた最も大きな島に建っています。
神社本殿は1589年に建立され、南九州地方において中世まで遡る数少ない構造物であり、拝殿と共に保存が良好で、国重文に指定されています。
建造物として、本殿、拝殿、附宮殿、本殿覆屋があります。その一部が島の上に建っている点も注目されています。
本殿は相良家20代当主の長毎(藤原頼房)によって建立され、相良家との関連が強い社殿です。
本殿は挙鼻や手挟なども細部意匠に、拝殿は奥行の長い平面等に地域特色がよく表れています。

■全景
   

本殿は覆屋の中。球磨地方の社殿建築は流造の本殿を切妻の覆屋に入れるのが典型。 覆屋は本殿の棟に並行して建ち、切妻、茅葺が定型です。
  

■本殿 国重文 建立:1589 三間社流造 桁行三間 梁間二間 鉄板仮葺(こけら葺) 南面 内部背面に棚を設け宮殿を置く 背面に脇障子
      
保存工事竣工時の画像です。中備は身舎で板蟇股、向拝で刳抜蟇股とし、組物間は琵琶板を嵌めています。

蟇股は向拝と本殿身舎に配されています。長さ:599.9mm 高さ:214.3mm 厚み:47.1mm
  

■向拝の蟇股3個 (表・裏)は、刳抜となっており、その両面に絵様が描かれています。
東脇間
  
中央間
  
西脇間
  

組物
     

■身舎の蟇股 10枚あります 板蟇股です 全体の幅599.9mm 高さ214.3mm 厚み47.1mm
      
絵様は、松・竹・梅を中心に波、雲などが描かれています。中には抽象的に表現されているものもあり、ユニ-クかつ素朴な表現となっています。

■拝殿 国重文 建立:1763 桁行13.6m 梁間3.9m 一重 寄棟造 妻入 茅葺 向拝一間 桟瓦葺 :: 東側側面餞室付属 桟瓦葺
   

参考
江戸時代、相良氏の居城として人吉城が築かれました。相良二万二千石の城下町として人吉は、領内の交通の中心、仏師の集積地として栄えました。
特に寛永前後は、かなりゆとりのある財政状態にあったようで青井阿蘇神社など多くの普請事業を支えていました。
球磨地方は鎌倉時代以来、一貫して相良家の領有下にありました。
球磨地方を東西に還流する球磨川は、両岸に水田耕作地域が広がっています。総延長113㎞を越える県内最大の河川で、盆地には古来より肥沃な生産基盤をまたらしてきました。

 

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