Monthly Web Magazine Dec. 2022
■蟇股あちこち 32 中山辰夫
今月は奈良県の社寺です。
桜井市にある談山神社(重文)と長谷寺(重文)・興喜天満神社(市指定 )および御所市の高鴨神社(重文)と鴨都浪神社(市指定)です。
桜井は日本で初めて仏教寺院が建立された地といわれ、相撲や酒造り発祥の地ともいわれます。談山神社・長谷寺はあまりにも著名な社寺です。
高鴨神社は鴨氏発祥の地にあり、上・下賀茂大社(京都)を始め全国鴨(加茂)神社の総本宮で、弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。
鴨都波神社は、弥生中期に御所に移り住んだ鴨一族が祀った神社です。高鴨神社を上鴨社、鴨都波神社を下鴨社とも呼ばれます。
■1619 談山神社
奈良県桜井市多武峯319
談山神社は藤原鎌足を祀る神社です。 鎌足の子、定慧が鎌足の墓を摂津国阿武山から移し、多武峯山頂に十三重塔を建立しました。
その後、塔の南に講堂を建てて妙楽寺と称し、701年方三丈の神殿を建て、鎌足の御神像を安置したのが、談山神社の始まりです。
現在の建物は室町時代再建の十三重塔と権殿を除き、大半が1619年に徳川秀忠が造営したものです。
明治の神仏分離の際に仏教色を廃し、談山神社と改称しました。藤原鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿の討伐を、神社背後の御破裂山で談らったことに由来しています。
境内は南向きの山腹にあって東西に長く、中央に参道の石段があります。
本殿・拝殿それを連結する透廊、楼門は上段の東側に、その左右に東西宝庫が建っています
参道の西側に十三重塔と権殿が並び、塔下に神廟拝所があり、末社も建っています。
□楼門 国重文 再建:1619 三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺
拝殿と西透廊間に建ち、本殿前庭への入口。正背面とも両隅柱間に大虹梁をかける 棟通りの両脇間は連子窓とします
□本殿 国重文 再建:1850 三間社隅木入り春日造 桧皮葺
1615年造替後、1668年、1724年、1792年に造替が行われ、現在のものは1850年の再建です。平面一間四面の独特な形式です
向拝の蟇股・手挟
本殿内の蟇股・手挟 (引用を含みます)
□東透廊 (国重文 再建:1619 桁行四間 梁間三間 一重 西面唐破風造 東面入母屋造 両下造 桧皮葺」 と 西透廊
□拝殿 国重文 再建:1619 懸造 桁行一間 梁間三間 一重 入母屋造 妻入 前後軒唐破風付 桧皮葺
懸造で、前後軒唐破風付の中央部の左右に、桁行各五間の両翼が取りついています。拝殿と連結した透廊は本殿両脇に接続します
□東宝庫・西宝庫 (国重文 再建:1619 桁行三間 梁間二間 校倉 入母屋造 桧皮葺) と東宝庫
校倉造
□権殿 国重文 再建:1506 桁行五間 梁間四間 一重 入母屋造 桧皮葺
もと常行堂三昧堂で、純然たる仏堂の形式で造られています。 妻入りで一間の向拝がつきます
□神廟拝所(旧・講堂) 国重文 建立:1668 桁行五間 梁間四間 一重 入母屋造 背面下屋付属 桧皮葺 旧妙楽寺の講堂
□末社惣社拝殿 国重文 再建:1668 桁行一間 梁間三間 一重 入母屋造 妻入 前後軒唐破風付 銅板葺
1668年造営。談山神社拝殿を縮小し簡略化下様式で,小目・背面ともに唐破風をもつ美麗な建物です。
□末社惣社本殿 国重文 再建:1668 三間社隅木入春日造 銅板葺
926年の勧請で、日本最古の総社といわれています。現在の本殿は、1668年造替の談山神社本殿を、1742年に移築したものです。
向拝周辺
身舎廻りの蟇股(一部)
□摂社 東殿(恋神社) 国重文 再建:1619 三間社隅木入春日造 桧皮葺 鯉神社とも称され、「鏡女王像」が祀られています
本殿と同じ規模、形式ですが全体に簡素な造りとなっています
妻飾り
向拝周辺
身舎に蟇股が配されています
□末社比叡神社本殿 国重文 再建:1627 一間社流造 正面千鳥破風および軒唐破風付 桧皮葺
□十三重塔 国重文 建立:1532 三間十三塔婆 桧皮葺)
□閼伽井屋 国重文 建立:1619 桁行一間 梁間一間 一重 入母屋造 杮葺
この中の井戸は「魔尼法井)と呼ばれ、往古、定彗和尚が法華経を講じた時、龍王の出現があったと伝えられます。
□東門 建立:1803
某所表門 談山神社の境内を降りた所にあります
■長谷寺
奈良県桜井市初瀬731-1
長谷寺は奈良時代の草創になる名刹で、真言宗豊山の総本山です。山腹の本堂を中心に伽藍が形成され、そこへは麓にある山門から登廊伝いに登ります
717~29年間頃の創建とされます。現在は末寺2,600近くあるようです。 境内約16ha、寺域は66haあるとか。
『枕草子』『源氏物語』『更級日記』といった王朝文学にあらわれる『長谷詣』から西国巡礼で一つの霊場となり、室町期の西国三十三カ所巡礼では八番目の札所として参詣で賑わいました。
創立後しばしば火災に遭い、現在の本堂は1650年の再建です。残っていた棟札通りに、鐘楼、登廊、仁王門も同時に建立されました。
仁王門と下中登廊は1882年に焼失、1885~89年にかけて再建されました。
境内は参拝路に従って蟇股を軸に巡りました。
□境内図
参拝路に差し掛かるところにある建物
□受付と子院・普門院の不動堂と蟇股
□山門 国重文 再建:1885 三間一戸楼門 入母屋造 本瓦葺
三間一戸の楼門で、正面両脇間に金剛力士像を置いています。木太く堂々とした門で、本山の正門として相応しいです
広陵には波状の意匠が掘られ、中備えは樹木と鳳凰らしい彫刻。頭貫木鼻は象鼻、組物は三手先、中備えは麒麟の彫刻、唐獅子の彫刻が見えます。
□塔頭 梅心院の蟇股
□登廊(のぼりろう) 国重文 再建:1889 桁行四十一間 梁間一間 一重 切妻造 北端繋屋に接続 南端唐破風造 本瓦葺 延べ何億人の人々が上下したとされます。
仁王門から蔵王堂を経由して鐘楼に至る廊下で、石段は399段、長さは延長で200m近くもある長大な廊下です。 板蟇股が古来の使用目的で使われ、並んでいます。
□下登廊~中登廊(蔵王堂まで) 国重文 建立:1889 桁行五十七間 梁間一間 一重 切妻造 北端繋屋に接続 本瓦葺
妻壁には蟇股が、内部の梁には板蟇股が配されています。
□蔵王堂 手水舎 繋屋
蔵王堂は登廊の中間地点に位置し、蔵王権現三躯を安置しています。 登廊は右折れ師本堂へ向かいます。
□中登廊~上登廊~三百餘社~本堂 上登廊:国重文 建立:1650 桁行十八間 梁間一間 一重 両下造 本瓦葺
□三百餘社 国重文 建立:1650 一間社春日造 銅板葺 虹梁中備は蟇股で、はらわたは唐獅子の彫刻 木鼻は獏です。
□本堂 国重文 再建:1650 正堂:桁行七間 梁間四間 一重 入母屋造 正面裳階付 徳川家光の寄進、宮大工・中井大和守の造営
正堂に桁行九間 梁間四間の礼堂を接続した構成 礼堂の前面に舞台が迫り出ます。
本尊の十一面観世音菩薩は身の丈が10m余のクスノキ製の木造仏で国重文に指定されています。
妻飾
□鐘楼 国重文 再建:1650 桁行一間 梁間一間 一重 入母屋造 本瓦葺
□五重塔
境内に四方の三重塔跡に建立されました
□御影堂 建立:1984 向拝一間 宝形 銅板葺 蟇股は菊
□元長谷寺 向拝一間 入母屋 本瓦葺 寺伝では、686年に天武天皇の勅願でここに堂が建てられたのが長谷寺の草創とされます。卍紋の板蟇股 虹梁は波の意匠
□一切経蔵 再建:1561 桁行三間 梁間三間 宝形 本瓦葺 禅宗用の意匠を多用
□納骨堂 宝形 本瓦葺 柱は円形 組物は出組 古風な蟇股が配されています。
□中雀門 国重文 建立:1766 一間薬医門、切妻造、本瓦葺、左右袖塀附属 妻飾りは板蟇股
寺祖、教祖の根本道場である大講堂や書院などがあります。
寛文七年(1667)徳川将軍の寄進で建立されましたが、1911年炎上。現在の堂宇は1924年に再建されました。総檜造りの大殿堂です
□大講堂 国重文 建立:1919 木造、建築面積590.05㎡、本瓦葺、西面渡廊下附属、南面板塀附属 設計 天沼俊一
□護摩堂 再建:1923 宝形造 本瓦葺 設計:岸 熊吉
本坊と庫裏
長谷寺本坊は,国宝本堂と谷を挟んで相対する南の高台に位置します。
本坊の創建は天正16年(1588)とみられ、近世を通じて伽藍が整えられていましたが,1911年に焼失しました。
現在の建築群は,1921年から1924年に再建されたものです。
文化財の保存修理に携わっていた奈良県技師である天沼俊一,阪谷良之進,岸熊吉が派遣され,設計と工事監督を担当しました。
長谷寺本坊の建築群は,焼失前の構成や形式を部分的に継承しながらも,配置や平面の計画、空間構成の要所に近代らしい合理性が導入されています。
文化財保存を通じて熟知した様式をもとに近代の感性で創出された意匠や造形は優秀であり,高度に完成された近代和風建築として高い価値があります。(国指定文化財等データベースより)
□大正12(1923)年の建築
木造、建築面積529.66㎡、本瓦葺、北面唐破風造玄関並びに切妻造玄関付、東面北渡廊下及び中央渡廊下附属、南面渡廊下附属
造形は京都府技師・亀岡末吉氏の独創的な意匠「亀岡式」を思わせると案内にあります。
■與喜天満神社
奈良県桜井市初瀬14
與喜天満宮は、長谷寺の門前町・初瀬にあって、創建は946とされ、長谷寺の鎮守社として、また初瀬地区の産土神として信仰されてきました。
標高455mの與喜山の中腹に建ち、祭神は菅原道真で、日本最古の天満宮です。
道真の先祖・野見宿祢はこの初瀬の出身で、始めは土師氏と称しており、道真にとって初瀬は遠祖先からのふるさとでした。(諸説あるようです)
現在の社殿は、江戸時代後期の1818年に、長谷寺により再建されたとされます。
與喜山の中腹、長谷寺への参道をまっ直ぐ延長した所に鎮座しています。大和川を渡り石段を登った先に朱色の鳥居があり、その先石段は続きます。
手水舎 切妻 銅板葺 1650年造営 丸い穴のあいた板蟇股
中門と本殿 桁行三間 三間社入母屋 向拝一間 軒唐破風付 1818年の再建
彫刻が多く配されています。
向拝虹梁中備には竜の彫刻 にらんでいます 木鼻の彫刻も凝っています
本殿の蟇股 4個
扉の両脇の羽目や木鼻の彫刻
境内社 一間社春日造 銅板葺
■1543 高鴨神社 本殿
奈良県御所市鴨神町120
当地は鴨氏一族の発祥の地であり、その氏神として祀られました。鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が鴨都波神社を、東持田に移った一族が葛木御歳神社を祀りました。
後、高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ばれます。
高鴨神社は、葛城、金剛山の東山麓に位置し、往古は社や山を神体とした形態であったとされ、8世紀中頃に社殿を構えたとされます。
境内は北側がやや高くなった丘陵の南側を削平し、三方に高い石垣を築いた台地の上に石壇を設けて本殿のある一郭を構えています。
石垣下の広場に絵馬殿と摂社東神社をはじめとする境内社群を縦並べています。
京都市の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社と称します。
拝殿と蟇股
高鴨神社本殿は2008~09年に保守工事が行われ、彩色豊かによみがえりました。 修理前と竣工時の画像を並べます。
正面(南東より)~正面(南西より)~正面~側面(東より)
□本殿 国重文 建立:1543 三間社流造 正面軒唐破風 身舎側面二間 浜床・床付 組物出三斗 中日蟇股 桧皮葺 大工:ケン三郎、又三郎他
細部意匠
背面蟇股(中央)・側面花肘木(中央)・背面蓑束「中央」・正面懸魚(中央)・頭貫木鼻(背面)・側面懸魚(廂桁) 奈良県下では珍しく装飾が豊富です。
竣工時彩色例
庇中央間虹梁形桁~庇脇間虹梁頭貫木鼻~正面中央・脇間頭貫
極彩色の本殿細部
本蟇股は向拝と禅室にありますが、格子が邪魔をして撮影が難しく、思うように出来ません
□末社東本殿 県指定 建立:1669 三間社流造 桧皮葺
本殿の影響もある桃山風の様式です 1819年に厚板葺を桧皮葺に改めるなど一部補修がされましたが、主要部は当初のままです
再建には古材が使われています 極彩色の彫刻が目立ちます
蟇股は向拝と前室に見られます
向拝の蟇股 3個ならんでいます
前室の蟇股 3個並んでいます
末社の板蟇股
■鴨都波神社
奈良県御所市513
葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(上鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)に対して「下鴨社」とも呼ばれます。
事代主神は鴨族が祖神として信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源です。
大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主の子に当たることから、「大神神社の別宮」とも称されます。
社伝によれば、崇神天皇の勅命で創建されとされ、一帯は「鴨都波遺跡」という遺跡で、弥生時代の土器や農具が多数出土しています。
古くから鴨族がこの地に住みついて農耕をしていたことがわかります。
「鴨の宮」の名で親しまれ、夏と秋の祭礼には「ススキ提灯」が奉納されます この行事は奈良県の無形文化財に指定されています
拝殿:桁行三間、梁間二間 入母屋造 本瓦葺 千鳥破風 千鳥破風向拝付
本殿 市文化財 建立:1841 桁行三間 梁間二間 流造 銅板葺 千鳥破風 唐破風向拝付
拝殿の後方には中門と透塀の建つ基壇があり、その奥に本殿が見えます
向拝
本殿-妻部
透塀に囲われているので撮影が出来ません
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