Monthly Web Magazine Dec. 2022
■ 「吾亦紅」 柚原君子
吾木香
すすきかるかや秋くさの
さびしききはみ君におくらむ
(若山牧水 第三歌集『別離』・明治43年刊より)
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私の父と母は協議離婚をしている。
父からは、些細な日常の積み重ねが、双方の姑同士の喧嘩となって収支がつかなくなり、このままでは誰もが幸せになれないので離婚に至った、と聞いている。どのような原因かは解からないが、母は左目を病み失明寸前だったそうである。
私は父方で育てられて、母にとっては姑であり私にとっては祖母である人と日常的に接したが、今思い返しても、あれでは喧嘩にならざるを得ないだろうという厳しい人だった。
厳しい性格の祖母は、実子の数名を戦争で亡くして軍国の母と呼ばれ、夫の死で家業であった機屋を倒産に追い込まれた。それでも立ち上がり、70歳を過ぎてからは農業を捨てた私の父と共に東京に上京して、新規開店した大衆食堂のごはん炊き係を朝のⅥ時から夜の9時まで一手に引き受けてやりとげた祖母である。
電気炊飯器の無い時代で、大釜でガス調整の必要なおこげが出るかでないかの微妙な炊き加減が必要とされていた。髪をひっつめにして大釜の横で凛としていた祖母の姿を思い出す。
私も、雑巾の絞り方や靴のそろえ方などがきちんとできないと、容赦なく火箸や鯨尺でピシッとたたかれた。
他方、母方の祖母も、女丈夫の寡婦でダンプを何台も抱える職業を切り盛りして、ダンプ野郎達の先頭に立つ威勢の良さだったらしい。
目が悪くなっていく母。夫婦の間に双方の姑が入ってくる。
「嫁にやったとはいえ当方の大事な娘。大切にしてもらえなければ返してほしい」。
「もともと目が悪かったのを押し付けたのでは?」と、姑同士の喧嘩が続く。父はほどなくお手上げをした。母は身重で婚家を離れた。家裁で離婚の調停がされた。
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胎児から一歳までの子どもは動物に近い感覚を持っている。しゃべることができないからその感覚を伝えられないだけである。
見る色、聴く音、感触などが体中に浸透して行き、人となりゆく原点が創られると思える。
離婚が成立したとき、母は生後10ヵ月になっていた私を父に渡すべく家庭裁判所の椅子の上に置いたそうである。
私は目覚めていて、私の目には裁判所の廊下の天井が映っていたのだと思う。裁判所は木造で廊下は薄暗く、私が見た天井の色は吾木香のような深い焦げ茶色だったのではないだろうか、と想像する。
母方で暮らした10ヶ月の間、私はどのようなことを耳にして育ったのだろうか。調停は親権を協議したのか、慰謝料を協議したのかどちらだったのだろうか。父方に親権が決まって私はホッとしたのだろうか。父は母を愛おしんだのだろうか。母は悲しかったのだろうか。父は祖母に抗うことは出来なかったのだろうか。
母から父に手渡されたのではなく、裁判所の椅子にぽんと置かれた生後10ヶ月の私が見ていたであろう裁判所の天井の色。吾木香の花の色。焦げ茶色。私は今でも焦げ茶色が好きである。
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離婚した後に母は他家に嫁いだ。
父も後添いをもらった。
その後一度だけ、JR太多線を走る列車の中で出合ったそうである。
「幸せかと訊いたら、母は幸せだと言った」と父は言うが、父がそのような甘い言葉を使うとは……想像をしてみるがどうもピンとこない。出合った事は本当かもしれないが、幸せであれという思いを父が父自身に言いきかせた言葉であったのかもしれない。
年に一度か二度、私は郷里に帰りJR太多線に乗る。田園風景の中を単線列車はゆっくりと進んで行く。秋、彼岸花の鮮やかな陰に隠れて山辺の草原に咲くという吾木香を探す。吾木香を探しながら父と母が見たかもしれない風景を、私も追う。
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吾木香は吾亦紅とも書き、地楡(ちゆ)・玉皷(ぎょっこ)・あやめたむ・えびすねという別名も持つバラ科の多年草である。茎は1メートルほどに伸びて羽状複葉となり、その細い茎の先に一つの穂の花をつける。花は楕円形で小さく頭状に固まっている。花の色は暗褐色、焦げ茶色、暗紅色などになる。
本来の花の名は【割れ木瓜】で、紋所の「木瓜」に×印をつけた形に似ているからだそうである。「吾木香」「吾亦紅」などの当て字は後のものである。地味な花の色だけれども晩秋に草原でゆれる様は可憐である。
若山牧水が『別離』の歌集の中で詠んだ冒頭の句は、吾木香のみならず芒(すすき)や刈萱(かるかや)もつけて、寂しき極みを知ってほしいと「君」に訴えた句である。晩秋は寂しき極みの風情が濃い。父や母が恋しい。
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