JAPAN GEOGRAPHIC

大分県杵築市 旧城下町の坂 全調査

All Slopes in Downtown Historic District,Kitsuki city,Oita

33 仮称 お茶屋坂

南台、塩屋の坂を南へ直進し、突当りを左に入った場所から下る坂。突当り付近には南台のお殿様ゆかりの「台の茶屋」があった。

魚町、光明院の西側の路地を入り左折して崖上に上る坂。坂下地域の避難路。

机上調査の仮番号 なし

調査検討後の正式番号 33

調査日 2017年12月2日

調査者 杵築市・坂学会合同調査チーム

坂名(よみ) 

坂別名(よみ) お茶坂(おちゃさか)、台の茶屋坂(だいのちゃやさか)、お茶屋の坂(おちゃやのさか) 

所在地

地図へのリンク

付近のランドマーク

坂の方向

総延長 50m

最大斜度 27度

最小幅

最大幅

坂基点の経緯度と標高 33.413357,131.618984  3.9m

坂頂点の経緯度と標高 33.413416,131.618587  23.6m

坂の形態 

 歩道、一部階段、コンクリート舗装

坂の標識及び説明書きの有無及び表記

坂名、別名、坂の成立時期の出典

 坂名が複数あり定着していないので仮称扱いとしてした。台の茶屋坂(だいのちゃやさか)は杉安氏調査(資料10)の19番による。光明院住職の奥様によるとお茶屋の坂(おちゃやのさか)と呼んでいるとのこと。お茶坂は、杵築市が設置した光明院門前電柱の巻き看板による。看板には、上から「津波避難場所」「方向矢印」「お茶坂上広場」が描かれている。(写真参照)。お茶坂は抽象的な名であり、何に因んでいるかわかりにくい。史跡として価値がある殿様の「台の茶屋」(ランドマーク)があった事実を尊重すると、台の茶屋に因んだ台の茶屋坂またはお茶屋坂のほうが妥当だが、杉安氏案(資料11)により、仮称お茶屋坂とした。いずれにせよ一つに定着していないので仮称扱いとする。

瀧山個人としては仮称台の茶屋坂が好ましいと考えている。北台で殿様の茶屋となっていた磯矢邸とともに、南台の殿様の茶屋だった「台の茶屋」は明確な史跡で、石組なども残存している。その場でのエピソードとともに歴史と文化を継承すべき重要なランドマークだと考えられる。可能ならば茶屋の復元などを行い次世代に継承していただきたいし、坂名も史跡という歴史的事実を尊重すべきであり、現状の単なる津波避難路ではなく積極的な展開が望まれる。

坂に関するエピソード等

Point of Interest

現地で記録した写真・動画・音など

           

台の茶屋跡

   

坂基部にある光明院