大分県竹田市 竹田市街
Taketa downtown,Taketa city,Oita
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こぢんまりした城下町 |
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滝廉太郎と岡城 |
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June 16, 2018 野崎順次 source movie
大分県竹田市寺町八幡山
願成院本堂(愛染堂)あたり
(Main Hall of Ganjoin Temple and its Neighbourhood, Taketa City, Oita Pref.)
竹田市全域ガイドとたけた城下散歩
八幡山命水延命地蔵尊
市文 観音寺の十六羅漢
観音寺と願成院への石段がなかなかよい
観音寺
国重文 願成院本堂(愛染堂) 江戸前期 寛永十二年 (1635)
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺
市文 円通閣 江戸中期
長屋門様式に唐様の門扉を配した中国風楼閣建築
豊後竹田駅近くの落門の滝
町屋の街並
武家町の街並
町屋の街並
御客屋敷
観音寺方面へ
円通閣
観音寺
滝廉太郎旧宅周辺
市用の横穴群
Ichimochi Yokoana
キリシタンン洞窟
Christian cave
武家屋敷
Samurai residence district
滝廉太郎旧宅周辺
Taki Rentarou residence
御客屋敷
Okyaku yashiki
五百羅漢
円通閣
Entsukaku
願成院本堂(愛染堂)
Ganjoin Hondo(Aizendo)
竹田は滝廉太郎の荒城の月で名高い岡城の城下町である。
岡城は、平安末期、文治元年(1185年)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城した山城に遡るといわれている。現在城跡には石垣しか残らないが、整備がよく、まさしく「荒城」の風情である。
城下町は城から少し距離があり、城の西側、川沿いの狭い盆地に発達した。周囲を丘陵に囲まれ、全く市街地の拡大が見込めない小さな城下町だ。時代に取り残されたように佇むが、この狭さゆえに街は心地よい。
武家街には、土塀、長屋門、常夜灯などが残り、江戸時代にタイムスリップしたような景観である。
南画の田能村竹田はここの風土が生んだ。そして明治期には滝廉太郎を生んだ。
滝廉太郎は東京生まれだが、直入郡の郡長として赴任した父に伴い12歳でこの地の武家屋敷に住まい、高等小学校に通った。
彼の短い生涯の中で竹田での思い出が一番濃かったようで、心のふるさととなっている。この街のこじんまりした風情が彼の心象風景を形成したであろうことは想像に難くない。
街の気持ちよさを体感するには、御客屋敷を訪問してみるのが良い。岡藩を訪問する使者のために建てられた宿泊接待所であるが、伊能忠敬も途上宿泊したとのこと。枯山水の庭園が見事である。
このような箱庭的城下町は、規模も小さいので、まるごと街並み保存する方策がとられることを願う。今後数十年かけて、公共施設などの近代建築は率先して旧市街の外に移転すべきではなかろうか。
そして、臼杵、杵築とあわせ、大分の素晴らしい城下町として国内外からの訪問客を誘因する方策を探ってほしい。
武家屋敷街
Bukeyashiki area
瀧廉太郎 旧宅
Takirentarou residence
円通閣、五百羅漢
Entsukaku,Gohyakurakan
御客屋敷
Okyaku yashiki
岡城址
Oka castle
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