岡山県備前市 真光寺
(Shinkoji Temple, Bizen, Okayama)
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備前市西片上1513 真光寺三重塔 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 三間三重塔婆、本瓦葺 棟札1枚 19531114
備前市西片上1513 真光寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正13(1516) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 棟札1枚 19531114
Sep.20,2014 瀧山幸伸 source movie
Feb 3.2013 大野木康夫 source movie
所在地 岡山県備前市西片上1513
真光寺は備前市の中心部、JR赤穂線西片上駅の北西に位置しています。
旧境内はJRと国道2号線に分断されており、仁王門はJRの南側に建っています。
仁王門脇から見た三重塔
JRを跨ぐ陸橋から見た境内
国道2号線から見た三重塔
国道2号線の陸橋から見た三重塔、本堂
鐘楼等
本堂(重要文化財)
永正13(1516)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
三重塔(重要文化財)
室町中期の建築
三間三重塔婆、本瓦葺
Dec 2010 撮影/文: 野崎順次
岡山県備前市西片上1513
高野山真言宗
御瀧山 真光寺 (おたきさん しんこうじ)
撮影日: 2010年12月19日
寺伝によれば行基により奈良時代の天平11年(739年)に創建されたとされ、行基が造立した薬師如来が安置されたといわれている。天平勝宝年間(749年〜757年)に報恩大師が孝謙天皇の勅命により、備前四十八箇寺の一つに加えたという。
南北朝時代には兵火のために衰微するが室町時代の応永年間(1394年〜1428年)に良宗法印が中興した。しかし、戦国時代に再び衰退した。
江戸時代になると、岡山藩の保護を受け再び復興した。当初、山号は小滝山と称していた。慶長7年(1602年)心王院勢恵上人(しんのういんせいえしょうにん)が仁和寺に招かれ、その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り、山号を御瀧山と改称した。現在、自性院・花蔵院の2院が塔頭として残っている。
JR西片上駅から5分も歩けば、幹線道路沿いの真光寺に着く。
国指定重要文化財 本堂
棟札には永正13年(1516年)の銘があるが、寺伝では応永年間(1394年〜1428年)に再建されたとある。永正13年(1516年)に修理増築された。入母屋造、本瓦葺。
境内の石仏、石塔
天神社
石碑と石地蔵堂
太子堂
国指定重要文化財 三重塔
室町時代中期に建造されたものといわれる。元来は瀬戸内市牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613年)に移築した。本瓦葺、高さ18.24m。
鐘楼
裏のお墓。家型、開き戸の石造物は、この地方特有の墓石なのだろうか?
備前市指定文化財 真光寺花蔵院正門
万代家第十一代常閑翁の像
帰途
ウィキペディア「真光寺」
河合哲雄「日本の塔」HP
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