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岡山県笠岡市 遍照寺

( Henjoji Temple, Kasaoka, Okayama)

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笠岡市笠岡中央町16-2 遍照寺多宝塔 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長11(1606) 三間多宝塔、本瓦葺 石碑1基 19750623


July 15, 2017 大野木康夫  source movie

遍照寺 多宝塔

所在地 岡山県笠岡市中央町16

笠岡市中心部、市役所の西側の児童公園内に多宝塔のみ残っています。

(遍照寺は笠岡市西の浜に移転)

多宝塔(重要文化財)

慶長11(1606)年の建築

三間多宝塔、本瓦葺

遍照寺は元弘年間に現在地に移されたと伝える真言宗寺院で、多宝塔は初重天井の墨書及び石碑の刻銘から慶長十一年に建立されたことが明らかである。

この塔は小型であるが細部に当代の特色を示し、内部彩色も当初のものがよく残っている。

(国指定文化財等データベースより)

                     

附指定の石碑

  


Sep.2014 瀧山幸伸 source movie

遍照寺 多宝塔

A camera

                    

B camera

                     

               


Aug.2010 野崎順次

岡山県笠岡市中央町 遍照寺 多宝塔

(Tahoto Pagoda of Henjoji Temple, Kasaoka, Okayama) 撮影日: 2010年8月13日

重文 遍照寺多宝塔 附石碑

県内に4棟ある多宝塔の中で最古のもので、国の重要文化財に指定されている。遍照寺は駅前の土地区画整理事業により西の浜に移転されたが、この多宝塔だけは笠岡の中心地の「いちょう公園」に今もなお静かに佇んでいる。

                                                                        

笠岡市笠岡5930

光明山金剛院遍照寺

本尊は五大明王と不動明王。高野山真言宗の中本寺で多くの末寺を持つ。年代は不明であるが弘法大師の開基と伝えられ、もとは市内吉田にあったが元弘元年(1331)に陶山藤三義高により笠岡へ移され代々の祈願所とされる。陶山氏滅亡後しばらく衰退し荒れ果てていたが毛利輝元の家臣村上景広が補修を行う。その後、江戸初期に小堀正次(遠州)より寺領の寄進を受けて再興された。

 仁王門を有し仁王様の寺として親しまれたが、昭和52年都市計画事業により多宝塔を残し市内西の浜へ移転。なお、解体移転のため市内にあったままの姿で存在する。

                                 

笠岡の街並

           

参考資料

笠岡市公式HP 

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