岡山県吉備中央町 吉川八幡宮
(Yoshikawahachimangu, Kibichuo town,Okayama Pref.)
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July 15, 2017 大野木康夫 source movie
所在地 岡山県加賀郡吉備中央町吉川3932
参道
随神門(岡山県指定重要文化財)
本殿及び拝殿
拝殿(岡山県指定重要文化財)
本殿(重要文化財)
応永15(1408)年の建築
桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、正面一間通り庇付、こけら葺
加賀郡吉備中央町吉川3932
撮影日: 2012年9月23日
当社は永長元年(1096)に京都の石清水八幡宮の別宮として、創建された。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀っている。「石清水八幡宮文書」によれば、備仲国吉川保に御調別宮と椙原があった。平安時代末期吉川が石清水八幡宮の荘園であったことから両神社の関係は特別深かった。鎌倉時代に書かれた「古事談」によれば石清水八幡宮の楽人、元正が当社の大祭にはるばる下向し、秘楽を奉納したといわれる。
本殿は国指定重要文化財で平成9年から平成10年8月まで、全面解体修理が行われた。解体の際に応永2年(1395)再建当時の建築工具として縦引き鋸が無く、縦一列にノミを打ち込んで割る工法の部材が全国で初めて発見された。
当番祭は毎年10月1日に迎え当、当指しではじまり(10歳前後の男児2名を当番様に決めて、垢離取り、口開(くちあけ)祭、走り競べ神事、ハクケあげ祭と約1月間続く祭りである。これは岡山県重要無形民俗文化財に指定されている。
また、吉川とゆかりの深い著名人として、庭園史家・作庭家の重森三玲氏(1896-1975)と丸善石油や全日空の社長を務め日中国交回復に先駆的な役割を果たした岡崎嘉平太氏(1897-1989)がいるが、当社では重森氏は3ヶ所に重森氏作の石組があり、本殿正面には岡崎氏の書が掲げられている。
パンフレット、現地説明板、文化財一覧(本殿保存修理報告書より)
石鳥居 元禄四年(1691)
重森三玲氏顕彰碑と同氏作石組
高麗犬一対など
県重文 隋神門 寛永三年(1750)
三間二間の八脚門、入母屋造檜皮葺、平入
門をくぐると、拝殿(県重文)と本殿(国重文)がT字型の配置で、相接して建つ。
県重文 拝殿附棟札 元治元年(1864)改築
梁間一間、桁行五間、切妻造栩葺(とちぶき)、妻入、周囲吹放、乱石積基壇上に建つ。
国重文 吉川八幡宮本殿 室町 応永二年(1395)
桁行五間、梁間三間、単層、入母屋造栩葺(とちぶき)。
屋根は全国的にも珍しい入母屋造平入の正面全長に庇が取り付く形式である。本殿の内部は、内陣と幣殿を合わせた様式で、幣殿は内廊を兼ね、外廊は本殿全体を囲んでいる。勾配の急な屋根と、指肘木による腰組の縁、厚板を用いた竪板張りの壁、割板を用いた床組・小屋組材の豪放な木肌は、道具の発達した現代では考えられないほどの手間と時間をかけた造営で、重厚かつ繊細な加工である。本殿の屋根は檜皮葺き(ひわだぶき)だったが、そうなったのは明治時代以降で、平成の大修理で創建当時の)栩葺屋根の姿がよみがえった。檜皮葺きはヒノキの皮で屋根を葺くこと、栩葺き(とちぶき)は杉・ヒノキ・栗などの割板で屋根を葺くこと。
本殿正面、「神は心を見る」の書は岡崎嘉平太氏による。
向かって左側面から、裏面、右側面と見て行く。
境内の巨木、当番祭の仮屋、社務所(重森三玲氏設計)、渡り廊下、石組(重森三玲氏作)など
樹齢300年、桧、樫、椎木が林立する社叢。町重文、県郷土記念物、文化庁によるふるさと文化財の森指定など。
彼岸花
参考資料
吉川風土記
「重要文化財吉川八幡宮本殿保存修理工事報告書」文化財建造物保存技術協会編集
岡山県神社庁HP
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