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岡山県岡山市北区 吉備津彦神社

(Kibitsuhikojinja Shrine, Kitaku, Okayama City, Okayama Pref.)

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March 24, 2019 野崎順次 source movie

岡山市北区一宮1043 

吉備津彦神社

当神社は古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとなります。後に佛教が入り正宮、本宮、摂末社合わせて51社を具え神宮寺や法華堂も建ちいよいよ御神威は広大無辺に広がり古代気比大神宮・大社吉備津宮とも称され朝廷直属の 一品一宮、吉備大明神として武将庶民に至るまで厚く崇敬されてきました。

皆様の平穏無事と弥栄を二千年に渡って見守り続けてきた神域は神オワス杜、鎮守のやすらぎの杜として、今なお皆様の祈りとともに守り継がれています。

当神社が夏至の日に太陽を真正面から迎えるよう鎮座していることや、磐座や大杉、鶴島亀島の配祀方位からみても吉備津彦神社が人間本来の自然崇拝を元となし、大自然の恵みに感謝し風水害などの自然の災害を畏敬して鎮め、日本民族の根幹精神たる自然との調和—自然界に育み育まれる地球本来の神様の御心にかなう祈りの神域としてここにあり続けてきたことをありがたく思います。

キビツのカミ

木火土 金水

五行をご存じの方はピンとくるかもしれませんが、吉備津彦神社の御神名は大自然の核を形成する五行を示しています。

(吉備津彦神社公式ウェブサイト)

現地説明板、撮影経路

       

西側の神池を北西から見る。手前が鶴島。

            

東西の池の真ん中、参道の方へ進む。亀が多い。

           

東の神池にある亀島

      

亀島に渡る。亀島神社があり、岩が配置され、磐境的である。

          

亀島の東に五色島があり、古代祭祀場と考えられる環状列石がある。特に興味深いので、その後の撮影をここにまとめた。

                      

西の池の島へ渡る。石橋を渡ると鶴島である。

      

鶴島神社と様々の歌碑

               

神社側の南岸へ渡り、東南へ進む。

    

東の池に戻る。左が亀島、右が五色島。

              

北岸に戻り、北東から東の池を見る。後は吉備の中山。

        

備前一宮駅の石棺蓋石

     


Aug.4.2015 中山辰夫

岡山市北区吉備津931

吉備の中山の北東麓にあって、備前国一宮である。祭神は吉備津神社と同じ吉備津彦命である。草創期には中山一帯が神域であった。

戦国大名の赤松氏や宇喜多氏からも尊敬され、江戸時代には岡山藩主池田氏の援助で社殿が再建・整備された。

1697(元禄10)年には三間社流造、檜皮葺の本殿(県重要文化財)が完成した。1930(昭和5)年に本殿・随身門以外を焼失したが、すぐに再建された。

神池周辺

     

随身門周辺

       

境内案内

 

境内

      

階段をのぼる

       

備前焼の狛犬

   

拝殿

       

拝殿内部

      

拝殿の額に「一品一宮」(いっぽんいちのみや)とある。

 

一品

当神社が朝廷直属の宮であったことから「一品宮」の称号を授けられた。当神社本殿前、元禄10年の燈籠に「一品宮」と明記されている。

一宮

平安時代から中世にかけて行われた社格の一種。諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の階級的序列が生じ、その首位にあるものが一宮とせられ、祭祀・神階などの点で、他社にまさって有力な神社とせられるものが明らかに見られるので、それらの最上位のものが一宮とせられた。

社殿は、拝殿・祭文殿・渡り殿が一直線に並ぶ

      

本殿

改修工事中

   

子安神社

    

天満宮

   


Sep.231,2014 瀧山幸伸 source movie

               

                                     

           


July 2012 野崎順次 source movie

岡山県岡山市北区一宮

撮影日: 2012年7月8日

備前一宮と呼ばれ、地名にも一宮が残るように吉備津彦神社は備前の総氏神として親しまれ敬われてきた。背後の神体山・吉備の中山や、社前の広大な神池に磐座を残し、夏至の日の出の方向に一直線に配置された社殿には、今も古代祭祀の面影が色濃くただよう。祭神は大吉備津彦命。吉備津彦命は孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人として御弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)とともに吉備国を平定されたと言われる。中世には武家や庶民の信仰が厚かったが、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって社殿がことごとく焼かれた。江戸時代に入ると、岡山藩主池田氏は崇敬厚く、三百石の社領を寄進、元禄十年(1697)には綱政公によって社殿が再建された。昭和5年(1930)に不慮の火災で、本殿・随神門を除いて焼失し、現在の社殿は昭和11年(1936)の再建です。

現地説明板と北東(正面)からの参道

       

実際には吉備津神社から歩いてきたので、北西の駐車場からのアプローチ。

          

随神門 元禄十年(1697年)

池田綱政公が造営したもので二柱の門番の神様がお祀りされている

     

神門脇には、東洋一という笠石八畳の大燈籠がある。

    

階段を上ると受付など

     

社殿は、拝殿・祭文殿・渡殿と並ぶ。拝殿の額には、「一品一宮」と書かれている。

                    

県重文 吉備津神社本殿 江戸前期 元禄十年(1697)

桁行三間、梁間二間、流造、檜皮葺

現存の本殿は寛文八年(1668)岡山藩主、池田光政公が造営に着手しその子、綱政公のに完成した。流麗な三間社流作りの神殿は飛鳥時代社殿建築の粋がつくされており荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする“流れ造り”の正統な姿を示す社殿としても貴重な建築物とされている。古代の熱田神宮の社殿配置にならい、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と大社殿が一直線に配置されているのも特徴的である。

          

再び、拝殿・祭文殿・渡殿

     

摂社子安神社辺り

       

市重文 子安神社社殿

摂社の子安神社は古来、縁結び、子授け、安産、育児の神様として広く世に知られ全国から熱心なお参りがある。慶長年間、岡山藩備前監国の池田利隆公が子宝に恵まれなかった際、祈願後たちまち名君と仰がれた光政公の誕生をみたことは有名な話。

              

社前の広大な神池と鶴島

          

亀島

  

亀島神社奥にある五色島の環状石籬(古代の祭祀場跡)

      

JR吉備線車窓から見た吉備の中山と吉備津彦神社

  

参考資料

吉備津彦神社HP

現地説明板

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