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岡山県倉敷市 旧野崎家住宅

Nozakike,Kurashiki city,Okayama

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倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸末期 天保4(1832)頃 "居室部 桁行30.2m、梁間14.1m、二階建、入母屋造、四面庇付、本瓦葺・桟瓦葺及び鉄板葺、東面茶室・西面北台所・西面南便所及び湯殿・北面便所附属、東面北門及び塀付座敷部 桁行11.1m、梁間7.0m、南面入母屋造、北面居室部に接続、東面・南面及び西面庇付、東面便所及び渡廊下附属、西面突出部 桁行8.0m、梁間4.9m、入母屋造、本瓦葺及び桟瓦葺、北面西端渡廊下附属内玄関 桁行14.2m、梁間6.0m、一部二階建、入母屋造、西面主屋に接続、四面庇付、本瓦葺 玄関 桁行8.0m、梁間5.0m、南面入母屋造、北面内玄関に接続、東面及び西面庇付、本瓦葺、東面式台玄関附属" 納屋1棟、便所1棟、容膝亭1棟、観曙亭1棟、臨池亭1棟、腰掛待合1棟、雪隠2棟 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 玄関棟 重文 近世以前/民家 江戸末期 嘉永5(1852) "内玄関 桁行14.2m、梁間6.0m、一部二階建、入母屋造、西面主屋に接続、四面庇付、本瓦葺 玄関 桁行8.0m、梁間5.0m、南面入母屋造、北面内玄関に接続、東面及び西面庇付、本瓦葺、東面式台玄関附属" 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 表書院 重文 近世以前/民家 江戸末期 嘉永5(1852)頃 桁行16.2m、梁間11.4m、南面入母屋造、北面玄関棟に接続、四面庇付、本瓦葺及び桟瓦葺、南西隅湯殿及び便所附属、東面北端門及び塀付 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 長屋門 重文 近世以前/民家 江戸末期 天保9(1838) 桁行25.9m、梁間4.9m、入母屋造、西面及び北面庇付、本瓦葺、西面北方突出部 桁行4.0m、梁間4.9m、西面南方突出部 桁行3.1m、梁間4.9m、各入母屋造、桟瓦葺、西面便所附属 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 御成門 重文 近世以前/民家 江戸末期 天保9(1838) 一間薬医門、切妻造、本瓦葺、左右塀付 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 内蔵 重文 近世以前/民家 明治 明治34(1901) 土蔵造、桁行9.9m、梁間7.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 夜具蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 江戸末期 土蔵造、桁行11.7m、梁間4.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 大蔵 重文 近世以前/民家 明治 明治中期 土蔵造、桁行16.3m、梁間7.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 書類蔵 重文 近世以前/民家 明治 明治23(1890) 土蔵造、桁行9.9m、梁間4.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 新蔵 重文 近世以前/民家 明治 明治中期 土蔵造、桁行9.8m、梁間5.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 岡蔵 重文 近世以前/民家 明治 明治中期 土蔵造、桁行9.5m、梁間3.8m、二階建、切妻造、本瓦葺、南面下屋附属 20061219

倉敷市児島味野1-11-19 旧野崎家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 味噌蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 江戸末期 土蔵造、桁行11.1m、梁間4.9m、二階建、切妻造段違、本瓦葺、東面庇付、南面及び北面下屋附属 20061219


Sep.2020 / Nov.2018  酒井英樹

 
 野崎家住宅は児島の市街地にあって、かつては一帯に大塩田が広がっていた。
 16世紀中ごろに現在地に居住したと伝えられ、19世紀に入り大規模な塩田開発に成功するとともに新田開発も行った。
 主屋は野崎家が大庄屋各になった天保4年(1833)頃に長屋門と御成門とほぼ同時に建てられたと考えられる。
 その後明治にかけて諸建造物が加えられたとされている。


<主屋>

平成30年(2018)11月撮影
          
 

 令和2年(2020)9月撮影

  


 《内部》

  


<玄関棟>

 平成30年(2018)11月撮影

     

 令和2年(2020)9月撮影

 


 《内部》

 

<表書院>

 平成30年(2018)11月撮影

      

 令和2年(2020)9月撮影

   


 《内部》

   



<長屋門>

 平成30年(2018)11月撮影
 
 令和2年(2020)9月撮影

    

<御成門>

 平成30年(2018)11月撮影
    

<内蔵>

 平成30年(2018)11月撮影
  
 令和2年(2020)9月撮影

   
<夜具蔵>

 令和2年(2020)9月撮影

   

<大蔵>

 平成30年(2018)11月撮影

  
 令和2年(2020)9月撮影
   

<書類蔵>

 平成30年(2018)11月撮影
  
 令和2年(2020)9月撮影
   

<新蔵>

 平成30年(2018)11月撮影
 
 令和2年(2020)9月撮影
  

<味噌蔵>

 平成30年(2018)11月撮影
 
 令和2年(2020)9月撮影
  

<岡蔵>

 平成30年(2018)11月撮影
   
 令和2年(2020)9月撮影
    



***倉群(大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵)***

 平成30年(2018)11月撮影
  
 令和2年(2020)9月撮影
 

 


Aug.27,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                           

 


Jan.2015 野崎順次

撮影日: 2008年2月17日

毎年恒例の「野崎家のお雛様展」

主な展示品としては享保雛(江戸時代後期初代当主野崎武左衛門が岡山藩八代目藩主池田慶政侯より拝領の内裏雛、高さ約80センチ)や、明治期のお雛様・明治天皇雛・押絵雛・立雛及び雛道具など約200点余りを展示。

           


Sep.22, 2014 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                                                          

                                                                                                                                        

      


Oct.2012 野崎順次 source movie

岡山県倉敷市児島味野1−11−19

旧野崎家住宅

(Former Nozaki Residence, Kurashiki City, Okayama Pref.)

撮影日: 2012年10月8日

野崎家は、江戸時代末期ごろより、塩田開発と新田開発を手がけて財をなした。邸内には、中央に主屋、その前方に玄関棟と表書院が建つ。正面には長屋門と御成門を構え、北に内蔵などの土蔵群が並び建つ。建築年代は主屋が天保四年(1833)ごろ、玄関棟と表書院が嘉永五年(1852)で、土蔵群が江戸末期から明治中期に順次立てられた。旧野崎家住宅は、独特な平面の主屋や意匠の優れた表書院など、雄大な規模を有する上層民家として高い価値がある。

パンフレットと配置図

    

長屋門を入ると中央から左手に本瓦葺の主屋群、右手に土蔵群があり、また、長屋門の左には、貴賓用出入口の御成門がある。

                

中門をくぐると、広大な庭に面した表書院がある。庭園は江戸末期にできた枯山水で、庭内に観曙亭(かんしょてい)、容膝亭(ようしつてい)、臨池亭(りんちてい)の3席の茶室がある。奥は中座敷で、南北23間(約42m)の奥行きが見通せる。

                    

主屋の裏側には、美しい曲面の石垣、切石敷きの台所、漬物部屋、味噌納屋がある。

             

土蔵群は、南(左)から、内蔵、大蔵、書類蔵、新蔵、岡蔵と並び、内蔵の後方に夜具蔵が配されている。

   

三秀館

 

岡蔵(第2展示館)、最近新たに発見されて話題になった明治維新関係書簡等。

                         

参考資料

旧野崎家住宅パンフレット

国指定文化財等データベース


July 2011 野崎順次

野崎の記念碑(野崎武左衛門翁旌徳碑−のざきぶざえもんおうしょうとくひ)

(Monument in Honour of Buzaemon Nozaki, Kurashiki City, Okayama)

岡山県倉敷市児島味野2−7

国登録有形文化財(建造物)

撮影日: 2011年7月2日

国登録有形文化財(建造物)

野崎武左衛門翁旌徳碑 1基

野崎武左衛門翁旌徳碑石橋 1基

野崎武左衛門翁旌徳碑門柱 1対

野崎武左衛門翁旌徳碑石垣 1所

明治期の貴族院議員野崎武吉郎(1848〜1925)が、塩田王と呼ばれた祖父武左衛門(1789〜1864)のために建てたオベリスク型(方尖塔)の記念碑である。明治25年(1892)に、野﨑浜を一望できるこの地に建立された。約8m四方の基壇の上に上下2組の台座を設置し、全長18.23m、塔身11.79mである。石は、下津井沖の六口島から採石された御影石である。

設計した土木技師山田寅吉は。明治元年にフランスに留学し、パリのエンジニアを養成する名門校エコール・サントラルを日本人として最初に卒業した。彼は同校で最先端の土木工学を学んだ。当時の欧米では、古代エジプトを英知、正義、永遠の生命の象徴として、図書館、裁判所、墓地がエジプト風にデザインされる「エジプトマニア」(エジプト熱)が流行し、特にフランスでは偉大な功績を残した人物を後世に伝えるためのオベリスク形記念碑が建てられた。学生時代にエジプトマニアのデザインに関心を寄せていた山田は、野崎武左衛門をたたえる記念碑をエジプトマニアでデザインしたのである。

右面 枢密院副議長従二位勲一等伯爵東久世通禧書

正面 野﨑武左衛門翁旌徳碑

左面 明治二五年壬辰九月建焉

                   

石橋

    

庭園

野﨑武左衛門の功徳を偲ぶ多くの人々によって、明治25年に造られた。敷地面積約3500㎡、中央に翁旌徳碑がある。碑の前には、心字池を築き、大小の奇岩を配し、背後に築山を設けた池泉回遊式の庭園となっている。また周囲に巡らされた堀には、昭和の初めまで瀬戸内の海水が入ってきていた。

                    

不慮に事態で破壊された時のために予備用塔身石が横たわっている。

   

蒲葵樹(びろうじゅ)

ヤシ科の常緑高木。大正10年に、野﨑武吉郎が総社市の知人医師よりハワイ島土産として贈られたもの。樹高約15m、根回り約1.9mある。露地に植えた蒲葵樹の北限とされる。上部が一度折れている。

    

参考資料

倉敷市HP

倉敷芸術科学大学芸術学部HP

晴れの日ネットわたなべたかおHP


Mar.2009 撮影/文 野崎順次

国指定重要文化財 旧野崎家住宅

岡山県指定史跡 野崎家旧宅

登録博物館 野崎家塩業歴史館

住 所: 岡山県倉敷市児島味野1−11−19

所有者: 財団法人竜王会館

撮 影: 2009年3月1日

野崎家旧宅は、製塩業と新田開発で財を成した野崎武左衛門(1789〜1864)が天保4年(1833)から嘉永5年(1852)にかけて次々と築いていった民家で、敷地面積3000坪、建物延床面積1000坪近くある。

長屋門を入ると中央から左手に本瓦葺の主屋群、右手に土蔵群があり、また、長屋門の左には、貴賓用出入口の御成門がある。

             

中門をくぐると、広大な庭に面した表書院がある。さらにその奥は中座敷で、南北23間(約42m)の奥行きが見通せる。

           

庭園は江戸末期にできた枯山水で、庭内に観曙亭(かんしょてい)、容膝亭(ようしつてい)、臨池亭(りんちてい)の3席の茶室がある。

            

主屋の裏側には、美しい曲面の石垣、切石敷きの台所、漬物部屋、味噌納屋がある。

                  

土蔵群は、南(左)から、内蔵、大蔵、書類蔵、新蔵、岡蔵と並び、内蔵の後方に夜具蔵が配されている。現在、大蔵が第1展示館で、製塩の歴史資料などを展示している。

         

岡蔵が第2展示館で、初春には岡山藩主から拝領した享保雛(高さ約80cm)などさまざまなお雛様が見られる。また、明治期に近衛家より到来した狆の人形もある。

       

土蔵の前には、分銅に使われた溜め石、通信用旗竿がある。また、少し離れて、三秀館や水のおいしい大井戸がある。野崎家旧宅全体は黒塀に囲まれている。

           

野崎家住宅から南西約400m離れた約100坪の庭園に、野﨑武左衛門翁旌徳碑(野崎の記念碑)がある。明治期の貴族院議員野崎武吉郎が、塩田王と言われた祖父武左衛門のために建てたオベリスク型(方尖塔)の記念碑である。約8m四方の基壇の上に、上下二組の台座を設置し、その上に約12mの塔を立ち上げている。日本でも珍しい古代エジプト趣味の建造物で、フランス留学経験のある土木技師山田寅吉が設計した。個人の顕彰碑としては日本一といわれる。

            

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