岡山県倉敷市 阿智神社
Achijinja , Kurashiki city,Okayama
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July 1, 2018 野崎順次 source movie
岡山県倉敷市本町12-1
倉敷の古名は「阿知」であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。
これは、日本書紀応神記(4世紀)に「阿知使主(あちのおみ)が韓国より17県の人達を率いて帰化してきた」とあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している。
また、社記には神功皇后三韓征伐の途中、暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降ったため、応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。
古来この一帯は吉備の穴海と称され、内海深く湾入し社地は内亀島という小島であったため、海の交通交易の守護神である宗像三女神を奉斎したとも伝えられている。
室町末期、慶長、元和の頃から祭祀は当地草分けの有力者の木綿襷組(ゆふだすきぐみ)が交代執行し、江戸中期に観竜寺の別当が管理し、神仏混淆して明治に至ったが、同2年神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号した。
当社は倉敷の中心部、美観地区の鶴形山の頂上にあり、広い境内には蓬莱思想に基づいた日本最古の鶴亀様式の古代庭園とも伝えられる天津磐境の他、盤座・磐境が点在し、中腹の斎館の風雅な庭には陰陽の盤座のほか水琴窟もある。また、能舞台、絵馬殿、芭蕉堂等もあり、本殿北側の「阿知の藤」は曙藤では日本一大きく古く、倉敷市の市花でもあり、県の天然記念物に指定されて、毎年5月5日の藤祭には多くの人で賑わう。
(岡山県神社庁ウェブサイト「阿智神社」より)
阿智神社の杜
一、 磐境、磐座、写亀の石組(古代庭園)陰陽石
「この神社には磐境、磐座のほかに蓬莱思想に基づく鶴亀の石組、陰陽思想的な磐座が遺され、日本庭園における石組の起源を探る貴重な存在として注目されている。
四世紀以後の大和朝廷は朝鮮半島と密接な関係をもつようになり、古記録によると応神天皇の時代に東漢(やまとのあや)氏の祖先とされる阿知使主(あちのおみ)とその子都加使主(つかのおみ)十七県(あがた)の漢人(あやびと)を率いて帰化したと書かれており、その一部がこの地方に定住したものらしい。この神社は阿知使主族の奉斎するものであることは倭名抄に阿智の明神と記されていることからも推定できる。
このあたりは備中府史等によると阿知潟、社記には吉備の穴海と称される浅海で、その中の小島に漁民が社殿を奉祀したとある。彼らは帰化するにあたってその帰属意識を明らかにする為、日本に古来から伝わる磐座や磐境を設け、更に彼ら民族の先進的文化を盛り込むべく中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したものといわれている。
これらの石組は現在本殿の向かって右側の磐座と磐境、左側の鶴石組と亀石雲及び北側に続く枯れ滝式石組、斎館北側の陰陽的な磐座に見ることが出来る。」
文、配置図 − 東京農業大学、農学部造園学科、助教授 河原武敏先生
二、 生命力、生成発展、豊穣への信仰
本殿西脇に戌亥(北北西)の方向へ一線に連なる磐境(鶴亀の石組—古代庭園)、荒神社(荒魂の社)、阿知の藤(天然記念物)は古来生命力、生成発展、豊穣と深く関わる信仰の場となっている。
東坂の石段が里より米寿段、還暦段、厄除段を経て随神門の七段、拝殿の五段に達し、荒神社の三段で生命力の根源に達するとするのも亦同じ古伝承に基づくものと思われる。
(現地説明板)
パンフレットと現地説明板
西参道を上る。
八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)の摂社と磐座
さらに
禁門鳥居から厄除段、途中の町並の眺望
そのあたり
隋身門、拝殿、本殿、絵馬殿
古代庭園、鶴石組−亀石石組
荒神社
阿知の藤まわりの石組
枯れ滝式石組
摂社,東方遙拝所
磐座と磐境
社務所あたり
斎館北の陰陽的な石組
東参道入口、中国人観光客と黒猫
岡山県倉敷市本町12−1
御祭神: 多紀理毘賣命、多岐都比賣命、市杵嶋比賣命
倉敷の古名は「阿知」であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。
これは、日本書紀応神記(4世紀)に「阿知使主(あちのおみ)が韓国より17県の人達を率いて帰化してきた」とあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している。
また、社記には神功皇后三韓征伐の途中、暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降ったため、応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。
古来この一帯は吉備の穴海と称され、内海深く湾入し社地は内亀島という小島であったため、海の交通交易の守護神である宗像三女神を奉斎したとも伝えられている。
室町末期、慶長、元和の頃から祭祀は当地草分けの有力者の木綿襷組(ゆふだすきぐみ)が交代執行し、江戸中期に観竜寺の別当が管理し、神仏混淆して明治に至ったが、同2年神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号した。
当社は倉敷の中心部、美観地区の鶴形山の頂上にあり、広い境内には蓬莱思想に基づいた日本最古の鶴亀様式の古代庭園とも伝えられる天津磐境の他、盤座・磐境が点在し、中腹の斎館の風雅な庭には陰陽の盤座のほか水琴窟もある。また、能舞台、絵馬殿、芭蕉堂等もあり、本殿北側の「阿知の藤」は曙藤では日本一大きく古く、倉敷市の市花でもあり、県の天然記念物に指定されて、毎年5月5日の藤祭には多くの人で賑わう。
満開の「阿知の藤」が見たいので、鶴形山公園の西端、観龍寺側から登る。
岡山県天然記念物「阿知の藤」は、アケボノフジという珍種である。根回り約1.5m、根元周囲約2.2mで、同種の藤としては全国一の巨樹とされている。20m四方に枝を広げ、淡紅色の花が大藤棚一面に咲き誇る様は可憐でいて、見応えがある。樹齢については、藤には年輪が無いため諸説があるが、阿知の藤は300から500年といわれている。
阿智神社拝殿
本殿
境内の盤座・磐境、末社、能舞台など
倉敷の町並みを展望する。
隋神門
隋神門から最初に下りる石段は33段で厄除けの段と呼ばれる。近くの藤の花や子供の遊び場も見る。
その下は還暦の段(61)
さらに米寿の段(88)を降りると本町通りに出る。
参考資料
岡山県神社庁HP
阿智神社HP
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