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岡山県倉敷市 藤戸寺

(Fujitoji Temple, Kurashiki City, Okayama Pref.)

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謡曲「藤戸」ゆかりの寺、石造五重塔
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May 4, 2015 野崎順次 source movie

岡山県倉敷市藤戸町藤戸57

高野山真言宗

補陀楽山

寺伝によれば、この地に寺院が建立された由来は以下の通りである。寺の周囲がまだ海であった慶雲2年(705年)に千手観音像が海中から浮かび上がり、それを安置したことに始まる。その約30年後、諸国を巡っていた行基により安置してあった千手観音像を本尊とし天平年間(729年 - 748年)に寺院を創建した。

寿永3年(1184年)12月、源平合戦の藤戸の戦いで戦功を挙げた佐々木盛綱は、戦後、この寺院の周辺である児島郷を領地として拝領し、戦乱で荒廃した寺院を修復したとされる。

盛綱は合戦の際に若い漁師が道案内をしたことで武功を立てたが口封じのために殺害したと言われる。その漁師の霊と合戦の戦没者を弔うために当寺院で大法要を営んだと伝えられている。この伝説は謡曲「藤戸」として能の演目の一つとなっている。以後、毎年、藤戸寺土砂加持法会において盛綱とともに供養されている。

寺院は応仁の乱以後、戦国時代に至るまで兵乱によりたびたび戦火に見舞われた。江戸時代、岡山藩の領地になってようやく伽藍が整備された。本堂は岡山藩5代藩主池田治政の命により天明元年(1781年)に再建された。

(ウィキペディア「藤戸寺」より)

現地石塔と説明板

石段を上ると、正面に本堂、左手に大師堂、石塔、石仏

右手に鐘楼、不動堂

県重文 石造藤戸寺五重塔婆 鎌倉中期 寛元元年(1243)

高さ 355センチメートル。花崗岩製。本堂の北西に建っている。初層、塔身の金剛界四仏がくっきりと残っている。

その他境内

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