岡山県倉敷市 岩倉神社
(Iwakurajinja Shrine, Kurashiki City, Okayama Pref.)
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March 21 and April 10, 2021 野崎順次 source movie
岡山県倉敷市日畑203
祭神 大稲船命(おおいなふねのみこと)
森の中には多くの巨石が累々と分布し、周辺の田園地帯とはがらりと景観が異なっている。中央部は盛り上がった高みになっていてそこにも巨石群があり、その前に社殿が立てられている。それらは明らかに中心になる磐座である。また、周辺の巨岩の麓に祠を祀った境内社もある。巨岩を祀る神社の社殿は、必ずと言っていいが、人々に崇められる岩が先に存在し、社殿は後世に建てられている。
薬師寺慎一・著「祭祀から見た古代吉備」にも同様のことが書かれている。本書の中で、薬師寺慎一氏が指摘するのは正面入り口の「立石」の重要性である。この岩の前に立って社殿の方向を見ると、正面の鳥居の奥に拝殿があり、続く本殿の奥に、隠れて見えない磐座があって、これらが一直線に並んでいる。本書は「・・・鳥居・拝殿・本殿は後世的なものですから・・・古くは「立石」のところからイワクラに寄りつかれる神を拝んでいたと推測されます。これが古代の岩倉神社の姿です。」と述べている。
(全国巨石磐座探訪記ウェブサイトより)
足守川西岸、水田が広がる一帯のなか、丘状に盛り上がる森の中にここだけ巨岩が群集している。1つ1つが巨大で、全体としてよく磨耗された丸っこい形状のものが多いが、スパッと割れた鋭角的な断面を持つものも所々で目立つ。
(中略)
巨岩群の成因については、かつて岬の岩礁だった頃の名残と見る説や、周囲の耕地開拓に伴い不要の岩石をここに集積したものが後世神聖視されたと見る説がある。
八木敏乗氏は『岡山の祭祀遺跡』(1990年)の中で以下のとおり言及している。
「隣辺耕地造成に不用とされた周辺の巨石をここまで搬送集積した模様が察知される。その数、数十個におよび巨大な石が、累々と積み上げられ、水田地盤線より高さ10メートルばかり、土石をもって丘状に積み、築土の頂に盤状巨石を据え付け神石とした状況が、現地の状態などからして推考される。」
もともとは稲作のために開拓されたときの土石の集積が、後世その経緯を見ずに生まれた世代からすると「偉観」となり、神聖視の対象に転じたという歴史的な重層性が考慮されている。全国各地の平野部における巨石群集の類例を考える時にも、参考に資する考え方になるだろう。
(吉川宗明「石神・磐座・磐境・奇岩・巨石などと呼ばれるものの研究」ウェブサイトより)
田畑の中に浮かぶ島のように小高く孤立している。ほぼ円形平面である。南側に鳥居があり、ビニールハウスの間を通る細い参道がある。
東北の舗装道路から入る。
東側(正面入り口)に立石があり、東面する拝殿神殿に向かう石段がある。周囲は巨石がひしめく。
少し南の方に四角い巨石と約4分の一が割れた丸い巨石が寄せあっている。祠があり、磐座である。石組は人為的か自然か分からないが、中を覗き込むと、微妙な接点である。
東面する拝殿と本殿
本殿裏の磐座群
周囲の巨石群
西側に降りて、南へ周囲を見ていく。
真宮神社に向かう途中にあった大岩。神聖視されているのだろう。
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