岡山県倉敷市 高梁川東西用水取配水施設
Takahashigawa east/west water facility, Kurashiki City, Okayama Pref.
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国重文、土木遺産、産業遺産、疏水百選 | |
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April 8, 2017 野崎順次 source movie
岡山県倉敷市酒津 酒津公園
(Sakazu Park, Kurashiki City, Okayama Pref.)
500本の桜、特に北部の用水路沿いの桜並木
桜の名所としては、北部の高梁川東西用水取配水施設(国重文)周囲と南部の西部用水両側に広がる広場(狭義の酒津公園)の両方をまとめて酒津公園と呼んでいるようである。北部の方が古樹大木が多く優れている。
北の端の八ヶ郷用水からめぐる。この桜並木は昭和50年に倉敷青年会議所創立20周年を記念して倉敷市民憲章推進協議会との共同事業として計画植樹されたとある。
高梁川の土手に登って見る。
並木道に戻る。
酒津配水池まわり
西部用水の西
西部用水の東
August 14 and 20, 2016 野崎順次 source movie source movie
岡山県倉敷市酒津
高梁川東西用水取配水施設
(Takahashi River East and West Water Intake and Supply Facilities, Kurashiki City, Okayama Pref.)
国重文 高梁川東西用水取配水施設 3基1棟
酒津取水樋門、南配水樋門、北配水樋門、事務所
附 文庫 1棟(事務所附)、用水工事竣功記念碑 1基
所 有 者 高梁川東西用水組合
建築の時代 大正13年(1924年)(樋門)、大正15年(1926年)(事務所)
概 要
高梁川東西用水取配水施設は、高梁川の下流に位置する農業用水施設である。治水を目的とした高梁川改修工事の一環として実施され、樋門は内務省大阪土木出張所の設計により大正13年に、事務所は同15年に竣工した。樋門はいずれも鉄筋コンクリート造で、酒津取水樋門は表面全体に花崗岩の切石を積む荘重な外観とし、南配水樋門は15連からなる大規模な構造物である。
高梁川東西用水取配水施設は、近世以来の小規模な取水施設を統合して、水利用の合理化と施設の大規模化が図られた近代農業用水施設のうち、大正期における最大規模のものとして重要である。また、大正期に全国的に導入が進められた鉄筋コンクリート造樋門の現存例としても貴重で、農業土木技術史上価値が高く、土地とあわせて保存を図る。
(倉敷市ウェブサイト文化財保護課からのニュースより)
岡山県資料、現地説明板
北から巡ることにする。北配水樋門からの疏水をたどる。水遊びの子供たちがあがった直後だった。「水辺のカフェ」がある。美観地区の三宅商店の2号店だという。疏水沿いに桜並木がある。春に来てみたい。
北配水樋門
八ヶ郷用水への配水量を調節する、正面約18.1m、通水部延長約3.4mの6連からなる鉄筋コンクリート造樋門である。水切り、天端隅部等に花崗岩の切石を用い、背面は各通水部にアーチ形を施して外観を整える。
酒津取水樋門
正面約22.1m。背面約17.4m、通水部延長約53.0mの規模を有する鉄筋コンクリート造樋門である。通水部は門形で7連からなり、躯体の表面全体に花崗岩切石を精緻に積み上げる。川側には、コンクリート造の溺堤を設け、樋門内への砂礫の侵入を防ぐ。
高梁川側に行く。
その他眺望など
酒津配水池
高梁川東西用水組合事務所
木造二階建、桁行約18.2m、梁間約7.3mで、寄棟造、桟瓦葺とし、正面中央に玄関ポーチ、背面中央に階段室を張り出す。外装は左右対称で壁面をモルタル塗仕上げとし、正面中央に切妻の飾破風を設け、左右に上下窓を配する。
附 文庫
記録文書や貴重品を納めるため、昭和3年(1928)、事務所の東南に鉄筋コンクリート造、平屋建ての文庫が建てられた。
附 用水工事竣功記念碑
南配水樋門
倉敷用水、備前樋用水、南部用水、西部用水及び西岸用水への配水量を調整する、正面約48.3m。通水部延長約4.2mの15連からなる大規模な鉄筋コンクリート樋門である。水切り、天端隅部等に花崗岩の切石を用い、背面は各通水部にアーチ形を施して外観を整える。
帰途、疏水から酒津公園
参考文献
文化財の説明は重要文化財答申関係岡山県資料より引用した。
June 2016 酒井英樹
高梁川東西用水取配水施設は、JR倉敷駅の北西約2kmの一級河川高梁川沿いの酒津に位置する。高梁川の水を農業用水として引き入れるための施設で酒津取水樋門、北配水樋門、南配水樋門等から構成される。
酒津取水樋門は高梁川の水を、約3.1haの配水池に流し込む役割を担っており、堤防下を潜る延長51.51m、高さ1.81m、幅1.36mの暗渠が7連敷設されている。鉄筋コンクリート構造が採用され、花崗岩は装飾に使われている。
また、完成当初はすべて木製ゲートであったが、現在では6門が遠隔から操作できる鋼製ゲートに改修されている。
取水樋門から取水した水は配水池に一時的に貯留され、受益面積等に応じて、合計21門の配水樋門(6門の北配水樋門と15門の南配水樋門)から6つの用水に分配されている。
東西両配水樋門も酒津取水樋門同様に鉄筋コンクリート構造が採用され、花崗岩の石張り装飾が行われている。
土砂堆積の影響で氾濫しやすい高梁川は元々は酒津地区で東西に分流していた。2つの河道を1つに整備する高梁川改修工事において堤防が整備された。
一方、瀬戸内式気候に属するため降雨量が少なく、慢性的な水不足を解決するため高梁川から堤防を横断して取水する施設が必要であり、酒津に取水施設が設けられたのが高梁川東西用水取配水施設である。
改修工事は国直轄で行われ、内務省(現国土交通省)大阪土木出張所の設計で沖野忠雄技監を中心に、青木元五郎、岡崎芳樹、三池貞一郎らの技師によって、明治40年(1907)から実施され、高梁川東西用水取配水施設は大正13年(1924)に完成竣工した。
高梁川改修工事により、それまで干拓地開発の進展に伴って設置されてきた取水樋門が撤去され、治水上の観点から統合された高梁川東西用水取配水施設の維持・管理および農業用水の合理的かつ公平な配分を図るため、「高梁川東西用水組合」が設立された。事務所として大正15年(1926)に竣工した建物が残っている。
平成28年5月、文化審議会文化財分科会において酒津取水樋門、北配水樋門、南配水樋門の3基と事務所1棟が高梁川東西用水取配水施設として国(文部科学大臣)に対して重要文化財指定の答申がなされている。
<南配水樋門>
<北配水樋門>
<酒津取水樋門>
<事務所>
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