岡山県美咲町 本山寺
Honzanji, Misaki town, Okayama
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General |
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Nature |
辺鄙な山頂の伽藍 | |
Water | 残り雪、凍った池 | |
Flower | ||
Culture | 本堂、三重塔、宝篋印塔が重文 | |
Facility | ||
Food |
久米郡美咲町定宗403 本山寺三重塔 重文 近世以前/寺院 江戸前期 承応元(1652) 三間三重塔婆、こけら葺 棟札1枚 19801228
久米郡美咲町定宗403 本山寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 建武2(1335) 石造宝篋印塔 建武二年乙亥六月十一日の刻銘がある 19560628
久米郡美咲町定宗403 本山寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 観応元(1350) 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝一間、向唐破風造、檜皮葺 19230328
October 2,2016 大野木康夫 source movie
所在地 岡山県久米郡美咲町定宗403
仁王門(岡山県指定重要文化財)
長屋(岡山県指定重要文化財)
客殿その他
霊廟(岡山県指定重要文化財)
歓喜天堂、山王堂
本堂へ
本堂(重要文化財)
観応元(1350)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝一間、向唐破風造、檜皮葺
本堂細部
鐘楼
常行堂(岡山県指定重要文化財)
三重塔(重要文化財)
承応元(1652)年の建築
三間三重塔婆、こけら葺
津山藩主森氏によって再建された三重塔。
外部は古式で正統的な手法をもつが、内部の構造は桔木に頼った軒の支持方法や、手先肘木の繋ぎ方などに新しい手法がみられる。
近世的構造手法を取り入れた初期の塔の遺構。
(国指定文化財等データベースより)
三重塔細部
宝篋印塔(重要文化財)
建武2(1335)年の建造
石造宝篋印塔、建武二年乙亥六月十一日の刻銘がある
Jan.2011 撮影/文 野崎順次 source movie
岡山県久米郡美咲町定宗403
岩間山 本山寺
撮影日: 2011年1月29日
大宝元年(701)頼観上人の創建で、本尊は観世音菩薩である。
当初は南方の山頂に在ったが、天永元年(1110)現在地に移り、大いに発展し百廿坊と言われた。
古来、山岳仏教の道場として、又、庶民信仰の霊地として栄えた。
長承元年(1132)稲岡ノ庄(誕生寺)の漆間時国公夫妻が参詣、祈願して生れたのが、後の浄土宗の宗祖と仰がれる法然上人(源空)である。
降って江戸時代になると津山藩の祈願所として、尊ばれ、又、森候の時代には、美作の天台宗の触れ頭であった。
山内寺院のうち、遍照院・仏性院・梅元院の三院が院内頭であったが、今では皆、合併して本坊一ヶ寺となった。
現在の境内地は4200坪、十余棟の堂塔伽藍は、昔に変らぬ面影を伝えている。
美作西国33所観音霊場 第1番 十一面観音。
説明板、石仏
県文 仁王門(江戸前期)檜皮葺
県文 寺侍長屋(江戸後期)
城郭のような石垣上にあり、門は石垣に囲まれた埋門(うずみもん)となっている。
客殿の門
客殿(江戸後期)など
噴水あたり
県文 御霊廟(江戸初期)
拝殿と本殿が中殿で連結された権現造りによる社殿様式となっている。建造時は森氏の霊廟であったが、藩主交代後は松平氏の霊廟となる。
山王堂(江戸中期)
歓喜天堂
重文 本堂(南北朝)
檜皮葺。南北朝初期の優れた堂建築の代表的なものとされ、県下の本堂としては最古のものである。内部の厨子は千鳥唐破風を配した、珍しい入母屋造りの構造である。
県文 常行堂(室町)檜皮葺
鐘楼(江戸中期)
重文 三重塔(江戸初期)
高さ26.4m、檜皮葺で三重塔としては岡山県下最大である。津山藩主、森長継が承応元年(1652)に再建したもので、外部は木彫りが太く伝統的な手法を用いている。初層、尾垂木の上に力士が乗り軒を支える。おり、装飾的な細部はないが内部の構造は当時としては新しい手法を取り入れた貴重なものである。
重文 宝篋印塔(南北朝)
県文 六角型舎利塔(南北朝)
高台の観音様、門前の眺望、帰途に見かけた民家
参考資料
オープンエア・おかやまHP
ウィキペディア「本山寺」
日本の塔HP
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