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岡山県岡山市北区 福田海本部

(Fukudenkai, Kitaku, Okayama City, Okayama Pref.)

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July 2012 野崎順次 source movie

岡山県岡山市北区吉備津795

撮影日:2012年7月8日

福田海を創立されたのは中山通幽(つうゆう)尊師です。尊師は、江戸末期、今の岡山県高梁に誕生され、昭和十一年まで御在世になりましたが、その七十余年の間に全国各地に数々の福田を行じられ、加えて、それら福田行(ふくでんぎょう)の中で多くの人々を善導救済されました。そのため京都嵯峨の天龍寺の傑僧関精拙(せきせいせつ)老師も、尊師のことを「塵中(じんちゅう)の菩薩」とまで嘆賞なさったほどです。尊師は、とりわけお墓のことに力を注がれました。人々に先祖の恩に報いることの大切さを説かれ、先祖のお墓の正しい建て方と祭祀供養の仕方を教えになりました。更にまた、全国各所において放置されていた無縁墓を集め、祭壇を築いて安置し、千燈供養(せんとうくよう)によってあつく供養されましたが、その数は実に二十万基を超えるものと推定されます。こうしたことから、人々は、尊師のことを「墓王」と崇めたほどでした。

なお、二つのことを付け加えておきます。一つは「福田海」の意味です。「福田」とは、辞書によると「功徳になるような善事」ですが、尊師は次のように教えておられます。「例えば、道端に石地蔵尊が倒れておられるとする。そこに来られた甲はもったいないと思い、地蔵尊の側にしゃがみこみ、般若心経を唱えて立ち去った。それから間もなくして乙が来た。乙は地蔵尊を抱え起こして立ち去った。甲は無功徳、乙は大功徳がある。乙のようなことをするのが福田である。福田は読経ではない。それは行為をともなったものであり、その結果が目に見えるものである。地蔵尊が倒れておられれば起こすのが福田である。」と。

また、「福田海」の「海」については、尊師は次のように教えになりました。「全ての川は海に流れ込む。どんな宗派や宗旨の人でもかまわない。そのままで集まって大勢の力をあわせて福田を行じてゆくのが福田海である。」と。付け加えておきたい今一つのことは、福田をしてゆく場合、尊師はいつも「陰徳主義」で進まれたことです。いくら功徳になるような善事をしても、それを自慢したり宣伝したりしたのでは何にもならないということです。

福田海本部 海主 中山 瑞巌 (福田海教学部による)

代表的な福田

明治37年、京都市嵯峨の化野念仏寺の「西院の河原」

昭和4年、滋賀県蒲生の石塔寺の祭壇

昭和12年、北海道の函館市に建てられた「北門塔(ほくもんとう)」

吉備津神社より、花を愛でながら山麓の古道をたどると、鼻ぐり塚の表示板があり、福田海本部に着きます。

最初に目につくのは長床で、風神を祀り暦祭を修する場所です。

本山の中心となる弥勒道場。中央の建物が弥勒殿で、一名中堂と云います。堂中央に落ちている御水が御本尊です。周りの石塔は四十九基で、都卒四十九ヶ院を現すと同時に、奈良時代に行基僧正が畿内に建てられた四十九ヶ寺を塔の姿で復興したもの。

中堂の一段上に、役の行者と理源大師、その中央に「鎮遼(日清戦争で海没した清の軍艦)」の錨が祀られています。また、易塚と云う、易を祀り、今日を基地に返事かを福に転ずる道場があります。この区画は立ち入り禁止です。

そのさらに上には小さな社があり、易塚と中堂を見下ろします。

燈明堂(不滅の常燈明を奉祀する)、護摩堂(本尊は虚空蔵菩薩、脇士は弥勒、役の行者)、山主宅、事務所

今度は中堂と英霊堂の手前を横切って、鼻ぐり塚に行きます。

はなぐり塚

かつてわが国の農村では、牛を飼い、田畑の耕作の労役等に使用していました。牛は家族の一員のように大切に育てられました。その際、牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻環、鼻ぐり)をはめ、それに縄を結んで使役していました。やがて牛は飼い主の手をはなれて売りに出され、解体されて肉となり皮となりその最期を迎えます。牛はその一生のすべてを人間のために尽くしてきたといえましょう。こうした牛の大恩に報いるため、死後残された鼻輪(鼻環、鼻ぐり)を牛の唯一の形見として集めて浄祭することを福田海開祖中山通幽師が発願されたのであります。篤信の方々のお力により全国から鼻輪は収集され、現在もその事業は続いています。鼻ぐり塚はもと円墳であり、その墳丘上に鼻輪を積んでいます。石室内には真鍮製の鼻輪を溶かして作った阿弥陀の宝号を刻印した金属板が安置されています。また、正面には馬頭観世音菩薩を祀っています。昭和初年に塚が建立されて以来、現在までにおさめられた鼻輪の数は六百八十万を超え、現在も畜類供養のため、春秋二回畜魂祭を行っており、年間数万個の鼻輪が塚におさめられています。

山麓の古道に戻り、吉備津彦神社に向かいます。のどかな道ですが、生臭い表示や建物もあります。

参考資料

福田海本部パンフレット

福田海本部現地説明板

㈲森石材店HP


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