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岡山県岡山市 備中高松城跡
Bicchu Takamatsu castle,Okayama city,Okayama
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June 9, 2013 野崎順次 source movie
岡山県岡山市北区高松
高松城址公園
(Takamatsu Castle Site Park, Kitaku, Okayama City, Okayama Pref.)
高松城は戦国時代、備中国高松(現岡山県岡山市北区高松)に存在した城。
城の形式は梯郭式平城で、石垣は築かれず土塁によって築城されていた。
城の周囲は低湿地帯でこれらが天然の堀を形成していた。
築城時期ははっきりしないが、天正3年の備中兵乱の後に清水宗治が城主となった。
天正10年(1582年)織田信長の家臣・羽柴秀吉は軍師・黒田孝高の献策により城を堰堤で囲み、低湿地にあった高松城を水没させる、世に言う「高松城水攻め」に着手した。
結局、城兵の命と引き替えに宗治は切腹した。
その後、高松城は宇喜多領となり、花房正成が城主として入城。
そして関ヶ原の戦いの後、宇喜多氏の旧臣であった花房職秀が城主となったが、その死後、一国一城令で廃城となったと思われる。
現在は秀吉が築いた堰堤や、城の石積みの一部が僅かにあるのみで、城の痕跡はほとんど残っていない。
城跡と堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」の名称で国の史跡に指定されている。
パンフレットと現地説明板
西から城址公園に向かうと、途中に清水宗治の胴塚があった。
公園の北部、首塚、石碑など
公園南部は蓮池、アヤメ・花菖蒲園など
資料館
舟橋
参考資料
ウィキペディア「高松城(備中国)」
May 2008 瀧山幸伸 source movie
首塚
Kubitsuka
水攻築堤跡
Mizuzeme chikutei ato
船橋
Funabashi
最上稲荷
Saijo Inari
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