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岡山県岡山市 備中高松城跡

Bicchu Takamatsu castle,Okayama city,Okayama

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February 3, 2018 野崎順次 source movie

高松城水攻め史跡公園

Takamatsu Castle Water-Siege Historic Park, Kita-ku, Okayama City, Okayama Pref.)

岡山県岡山市北区立田

天正10年(1582年)、織田信長の家臣・羽柴秀吉は中国攻めの先鋒を任され、4月、高松城攻め(備中高松城の戦い)にかかった。高松城の周囲は沼地に囲まれ難攻不落とされていたため、攻城戦は持久戦となった。5月8日(5月29日)に入り軍師・黒田孝高の献策により城を堰堤で囲むという、攻城というよりむしろ土木工事といえるものが開始された。これにより低湿地にあった高松城を水没させるというものである。世に言う「高松城水攻め」である。人夫に過分な金子を与え突貫工事で11日後に堤防が完成。折しも梅雨時で堰堤内には水が溢れ、城は水没した。

(中略)

現在は秀吉が築いた堰堤や、城の石積みの一部が僅かにあるのみで、城の痕跡はほとんど残っていない。城跡には宗治自刃の碑、宗治首塚・胴塚があり、公園として整備されており資料館が開館している。堰堤跡は高松城水攻め史跡公園として整備され、発掘調査により土杭等が確認されている。城跡と堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」の名称で国の史跡に指定されている。

(ウィキペディア「高松城」より)

現地説明板

    

築堤跡

                 

築堤跡の調査

     


Feb.2014 

     

   


June 9, 2013 野崎順次 source movie

岡山県岡山市北区高松

高松城址公園

(Takamatsu Castle Site Park, Kitaku, Okayama City, Okayama Pref.)

高松城は戦国時代、備中国高松(現岡山県岡山市北区高松)に存在した城。

城の形式は梯郭式平城で、石垣は築かれず土塁によって築城されていた。

城の周囲は低湿地帯でこれらが天然の堀を形成していた。

築城時期ははっきりしないが、天正3年の備中兵乱の後に清水宗治が城主となった。

天正10年(1582年)織田信長の家臣・羽柴秀吉は軍師・黒田孝高の献策により城を堰堤で囲み、低湿地にあった高松城を水没させる、世に言う「高松城水攻め」に着手した。

結局、城兵の命と引き替えに宗治は切腹した。

その後、高松城は宇喜多領となり、花房正成が城主として入城。

そして関ヶ原の戦いの後、宇喜多氏の旧臣であった花房職秀が城主となったが、その死後、一国一城令で廃城となったと思われる。

現在は秀吉が築いた堰堤や、城の石積みの一部が僅かにあるのみで、城の痕跡はほとんど残っていない。

城跡と堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」の名称で国の史跡に指定されている。

パンフレットと現地説明板

               

西から城址公園に向かうと、途中に清水宗治の胴塚があった。

       

公園の北部、首塚、石碑など

                       

公園南部は蓮池、アヤメ・花菖蒲園など

         

資料館

                               

舟橋

   

参考資料

ウィキペディア「高松城(備中国)」


May 2008 瀧山幸伸 source movie

                           

首塚

Kubitsuka

 

                     

水攻築堤跡

Mizuzeme chikutei ato

                                   

船橋

Funabashi

 

最上稲荷

Saijo Inari

 

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