岡山県総社市 鬼城山
Kinojo,Soja City,Okayama
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Culture | 鬼伝説 | |
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October 11, 2020 野崎順次 source movie1 source movie2
岡山県総社市 鬼ノ城
(Kinojo Castle, Soja City, Okayama Pref.)
国史跡「鬼城山」に包含
動乱に明け暮れる7世紀後半の朝鮮半島で、百済に援軍をおくっていた日本は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗しました。
唐・新羅の日本侵攻を恐れた朝廷は、早急に北九州から瀬戸内沿岸、畿内にいたる国土防衛の施設を築く必要がありました。鬼ノ城もそれらの一つとする考えが有力です。
鬼ノ城は、標高400~600mの吉備高原の南縁に築かれています。眼下には古代吉備の中枢地たる総社平野と足守川中流域平野を望み、快晴時には瀬戸内から遠く四国の山並み望見される遠望絶景の地に立地しています。
古代山城は、朝鮮式山城と神籠石と呼ばれるものがありますが、どちらも朝鮮半島に起源を求めることができます。城壁は、要所に高石垣を交えつつ、強固な土塁を2.8kmにわたって巡らせています。城壁は幅約7m、高さ約6mあり、外・内側に平たい石が1.5m幅で敷かれています。この敷石は城壁を守るために設けられたと考えられます。
(総社観光ナビウェブサイト)
パンフレットと現地説明板
学習広場(観覧デッキ)からの眺望と西門方面遠景
角楼
ここは、南北両方から入り込んだ谷の頭部にあたる背面側の要地で、正面側約13m、奥行側約4mが前方へ突出した長方形の張り出し部が、城壁に付設されている。張り出し部の下部は、推定高さ約3mの石垣とし、その上部は土積みであったようで、張り出し部の本来の高さは約5m以上と推定される。石垣の間にはほぼ4m間隔で、一辺約50cmの角柱が立つ。張り出し部の外側には、通路のような幅1.5mの敷石が巡っており、また、城内側には角楼への昇降のための石段もつけられている。
(総社観光ナビウェブサイト)
西門
平成8年度の調査で新たに発見された城門である。正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門で、中央1間が開口する。12本柱で構成される堀立柱城門で、開口部の床面は大きな石を敷いており、その両側に6本の角柱が立つ。門扉のつく柱は、一辺最大60cmもあり、これに精巧な加工をした門礎を添わせている。門礎には方立・軸摺穴・蹴放しが刻まれている。両側の門礎とも原位置を保っていることから、開口部は間口約4mで、うち3mが出入口となる。
(総社観光ナビウェブサイト)
敷石
板状の石を敷き詰めて通路状としたもので、城壁に沿って内側と外側の両方にある。幅1.5mで通路というよりも、城壁が流水によって壊されることを防ぐための施設であるらしい。なお敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかみられない。
(総社観光ナビウェブサイト)
時計と反対まわりに城壁沿いの道をたどる。
第1水門、第2水門
城内に4つの谷があるため、谷水の処理が必要であり、6ヶ所に水門が設けられている。水門は、外面の下部を石垣積み、上部は版築工法による土積みで、背面は石垣積みである。通水溝は石垣最上部につくられており、これは他の古代山城にみられない鬼ノ城の水門の特徴である。
(総社観光ナビウェブサイト)
城壁沿いの道に戻る。見晴らしがいい。高石垣の上のようだ。
南門跡
西門跡と同構造・同規模の12本柱からなる堀立柱城門である。開口部の大きさも西門跡とほぼ同じだが、門扉の柱は一辺最大58cmでわずかに小さい。城内へは高低差があるため、7段の石段がつけられているが、眼前には高さ5mの尾根があり、行く手を阻んでいる。城内壁に沿って、開口部の両側に敷石があるが、その一部は城壁上の敷石である。城壁中に柱列(塩化ビニールで代用)があるが、これは板塀用の柱と考えられる。
(総社観光ナビウェブサイト)
天空の散歩といった趣がある。千手観音摩崖仏があった。新しいもので江戸時代か。
第4水門
東門跡
鬼ノ城で最初に発掘調査した城門跡である。開口部の床面を石敷きにしているのは、ほかの城門と同じだが、柱の数や種類は異なり、正面1間(3.3m),奥行2間(5.6m)の6本柱からなる掘立柱城門である。柱の大きさは最大径58cmの丸柱の多用が目立つ鬼ノ城では異質ともいえる。
城内には20×15mの一枚岩の巨岩があり、行く手を遮っている。南門跡の尾根と同じ役割を果たしているのであろう。城壁中に5本の柱列があるが、南門の例と同じ板塀用の柱と考えられる。
(総社観光ナビウェブサイト)
鍛冶工房跡
第5水門と土手状遺構など
第五水門の背後には、谷川をせき止めるように土手状遺構が設置されています。全長は約26m、幅は8m、高さは3m以上で、遺構の外側と内側は石垣としています。特に外側は段違いに上下二段とし、その間に敷石を施しています。
(ビジターセンター説明パネル)
屏風折れの石垣
防護正面となる総社平野側の城壁では、6ヵ所に石垣を築いでいます。版築土塁が長い年月を経てかなり崩れているのに対し、石垣は風雪に耐え、本来の形状を留めているため、城壁の高さや傾きを知る上で貴重です。特に「屏風折れの石垣」と呼ばれている高石垣は、地形にあわせて大きく張り出しており、広い視野を利用して、城の東側方向への監視ができます。まさに守りの要といえます。
(ビジターセンター説明パネル)
これから先は展望が悪い。
長さ49mの土塁
北門
一辺最大55cmの角柱を用いた掘立柱城門で、門に伴う柱が6本、正面1間、奥行2間ないし三間の城門と考えられる。開口部の床面が敷石なのは、他の城門と同じである。
(総社観光ナビウェブサイト)
城壁沿いの道から離れて中央部に進むと礎石建物群がある。まず管理棟と思われる礎石側柱建物跡2棟。
それから食糧貯蔵の高床倉庫と思われる礎石総柱建物跡5棟
出発地点方面に向かってひたすら歩く。
鬼城山の最高地点
ビジターセンターの展示概要
展示物、展示パネルの詳細
タクシーで帰る途中、鬼の釜で止まってもらった。
市文(工芸・考古) 鬼の釜
鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)という伝説の鬼が使用していたとされ、「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭に認められます。
(中略)
この地は山岳仏教の聖地で、新山別所の浄土堂を修理し、阿弥陀(あみだ)仏を安置した鎌倉時代の僧:重源が、山口県の阿弥陀寺で湯釜を寄進したとされていることから、新山でも人々のために湯屋をつくり、湯釜もつくったのではないかと考えられます。
(総社観光ナビウェブサイト)
May 2008 瀧山幸伸 source movie
岩屋
iwaya
皇の墓
岩屋寺
鬼の差し上げ岩
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