JAPAN GEOGRAPHIC

岡山県総社市 総社宮

(Sojagu Shrine, Soja City, Okayama Pref,)

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  General
 
上古に遡る神池・神島庭園
  Nature
 
 
  Water   神々を祀る池
  Flower
 
  Culture
 
磐座、三尊石組
  Facility
 
  Food
 


June 30, 2018 野崎順次 source movie

岡山県総社市総社2−18−1

備中国総鎮守

重森三玲「日本庭園暦覧辞典」によれば、作庭年代が上古に遡る神池・神島があるという。

市史跡

総社の由来

総社とは多くの神社のご祭神を合祀した神社。古代律令制下、国司が朝廷の命で任国に派遣され、国府でその国を治めた頃のこと、当時は祭政一致の頃で、国司は国内の神社を巡拝しなければなりませんでした。ところが、広範囲の地域に点在する神社を全部巡拝するとなると、大変なことだったろうと想像出来ます。そこで、考えついたのが国内の神社のご祭神を一ケ所に集めてお祭りすることでした。これによって、巡拝のてまを省いたわけです。 この国内の神社のご祭神を一ケ所に集めたお宮を総社といいます。したがって、国府のそばにはかならず総社があります。総社は発祥の由来からして、その国一番のお宮であったことが想像できます。 岡山県には、備前、備中、美作の三つの国がありましたので、総社も三社あります。県内にはこの他に総社とよばれるお宮はありますが、それは郡や村単位の総社です。

当宮は備中国の総社で通称備中国総社宮といわれています。創建年代は不祥ですが、平安時代の初期と推定されています。 備前国庁の祭典の場所として設けられ、備中国内(北は赤磐郡吉井町、東は和気郡・邑久郡、南は玉野市・小豆島、西は岡山市一宮)百二十八神社のご祭神が合祀されています。そのことから当宮へお参りすると一度に百二十八の神社にお参りしたことと同じといわれとおります。 現在の建物は江戸中期の再建で、往時の面影はありませんが、江戸時代当時の一般的な神社建築の形態をよく残しています。 昭和五年十一月、陸軍大演習の際に昭和天皇陛下が玉歩を進め遊ばされた神社です。

主な合祀神社 八幡雄島神社 吉備津彦神社 安仁神社 神根神社 布勢神社 片山日子神社 石門別神社 高蔵神社 深田神社

(岡山神社庁平成祭データより)

由緒書と現地説明板

  

南の参道から

         

西の末社、琴平神社、和霊神社、清正公神社など

         

南の回廊

            

南の末社、沼田天満宮(当初の式内社野俣神社の論社)、笑主神社、その横の磐座

      

総社宮神池・神島(しんち・しんとう)

上古時代には、大きな神池を設けて、多くの中島を作り、これに神々を奉斎した形式のものと、別に、磐座とか磐境とかいった、石を主体にした神社形式があった。

(中略)

この神池は大体に今日もよく保存されえていて、池中に神島三島があり、面積は八百三十二坪を有し、神池は本殿の東南に当たり、大島が東にあって、小島が西に南北に並んで品字形をなしている。そして、西南の神島には、天津磐境と見られる石組を保存し、今は厳島神社となっている。

そしてこの神島配置は、大己貴神を祭神とする当社の祭神から考えて、大己貴式のものであることが首肯される。いずれにしてもこの神池神島が上古のものであることは興味がある。

(重森三玲「日本庭園暦覧辞典」より)

               

西南の神島、厳島神社と天津磐境

     

神池の西岸を北へ、北西の神島

      

中ノ島には磐境らしきものと三尊石組が残る。

             

神池の北から

    

東から拝殿の方へ、北の回廊、本殿、北の末社

                          

境内北西部

        

その先に明らかに磐座・磐境らしき区画があり、人工的な立石を含む石組があるが文献には見当たらない。比較的最近のものか。

      

南の参道入口の歴史的建物、総社市まちかど郷土館(国登文)、なまこ壁の蔵

          

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