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岡山県高梁市 有漢町の石造物

(Buddhism Stone Statues in Ukan-cho, Takahashi City, Okayama Pref.)

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高梁市有漢町上有漢9167 臍帯寺石幢及び石塔婆 石幢 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 嘉元4(1306) 嘉元四年十月二四日の刻銘がある 19610323

高梁市有漢町上有漢9167 臍帯寺石幢及び石塔婆 石塔婆 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 嘉元3(1305) 嘉元三年乙巳十一月十三日の刻銘がある 19610323


July 23,2014 瀧山幸伸 source movie

A camera

B camera

中井町西方の農村風景


Nov.2012 野崎順次 source movie

撮影日: 2012年11月24日

有漢町は優れた石造物が多く残っているそうだ。そこで、特に重要文化財に指定されている「臍帯寺石幢及び石塔婆(ほそおじせきどうおよびいしとうば)」を拝見しに出かけた。

今回の地図である。石幢と石塔婆は臍帯寺が管理されているが、境内や近くにはなく、直線距離でも4㎞離れた山麓にある。調査不足で現地に行くまで知らなかった。

JR備中高梁駅から40分ばかりバスに乗る。

茶道で降りて2km余歩く。

臍帯寺(ほそおじ)、元は「細尾寺」だったが、安産祈願の信仰が篤いことから改名されたという。

これらの石造物は、より一般的に「保月の….」あるいは「保月山….」と呼ばれている。

国重文 保月の石塔婆 鎌倉後期 嘉元三年(1305)十一月十三日

大和伊派石大工の名工、井野行恒の作、珍しい花崗岩製で高さ315㎝、幅43㎝と最大級で、身部上方に釈迦、阿弥陀、地蔵を薄肉彫りした三尊像を三段にあらわす。石塔婆は仏の供養のための塔婆の一種で、関東に多く、緑泥片岩の薄板状のものがほとんどである。

国重文 保月の六角石幢 鎌倉後期 嘉元四年(1306)十月二十四日

やはり、大和伊派石大工の名工、井野行恒の作。高さ264㎝。全国でも数少ない六面石幢でこれほど大きく優れたものはない。幢とは細長い旗で仏の像や教えを書いて供養したもの。その旗を六枚合わせた形を石で型どったのが六角石幢。

六角石幢周囲全景

保月の六角石幢

保月の宝塔、井野行恒の作。基礎、笠、相輪が当初のもので、塔身は失われ、別の石材を入れて二重塔になっている。

五輪塔など

茶道バス停から南西に少し歩くと、秋庭氏累代の墓

鎌倉時代・承久(じょうきゅう)の変で戦功のあった秋庭氏は地頭職として有漢郷を領し、さらに要衝の地松山に進出し、毛利氏に滅ぼされるまでの十二代240年間、松山城主として備中一円を支配した。大小約30基の一族の五輪塔が立つ。

さらに有漢町の旧道を南西方向に2kmばかり歩く。

芳烈酒造、たびたび全国新酒鑑評会で金賞を受賞している造り酒屋さん。創業大正7年、建物は明治20年築。大吟醸「櫻芳烈」を頂いたが、清冽にしてほのかなお米の香り、しかも豊潤。疲れた体がとろけた。

参考資料

有漢町パンフレット

吉備の石仏HP

芳烈酒造HP

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