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岡山県津山市 美作総社宮

(Mimasaka Sojagu Shrine, Tsuyama City, Okayama Pref.)

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津山市総社427 総社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 明暦3(1657) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、向唐破風造、こけら葺 棟札6枚 19140417


October 2,2016 大野木康夫 source movie

所在地 岡山県津山市総社427

拝殿

 

本殿(重要文化財)

明暦3(1657)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、向唐破風造、こけら葺

                                                     


July 18,2015 瀧山幸伸 source movie

                                                             


May 5, 2014 野崎順次 source movie

岡山県津山市総社427

美作総社宮

(Mimasaka Sojagu Shrine, Tsuyama City, Okayama Pref.)

美作総社宮の由緒

美作総社宮は社記に欽明天皇の二十五年(およそ1400年前)大巳貴命(大国主命)を字本館に(西方およそ1キロ)にお祀りしたのがはじまりと伝えられた。

和銅六年(西暦713年)備前国から六郡を割いてはじめて美作国が置かれその翌年国府がこの里に開府されました。その後美作の国司が社殿をいまの社地亀甲山に移して大巳貴命を主祭神として一宮(中山神社)二宮(高野神社)の両大社をはじめ美作国六十五郷の総べての社祇を合祀して総社宮となづけてそのみちおよそ500年間歴代の国司はみなこのご神意を奉じて国内の政治を執り行いました。

その後鎌倉時代になって国府がすたれたあともこの社は美作三大社の一つとして広く士民より崇祈され近世のはじめ美作国主森氏は多くの神領を寄進しのちの松平氏もまた祭祈料を奉納し明治維新後は県社に列せられました。

現在の本殿は永禄十二年(西暦1569年)に毛利元就が造営したものでのち 明暦三年(西暦1657年)に国主森長継が大修理を加え近く昭和七年に国と氏子の崇敬者一同の協力によって解体修理が行われました。

この社殿の造りは入母屋妻入の独特な様式をもち規模、豪壮で華麗な彫刻を総社宮に配置した桃山時代の代表的なすぐれた建造物で全国の総社宮のうちで当社のみが大正三年国宝に、現在は国の重要文化財に指定されています。

(現地説明板より)

参道を進む。鳥居は木鼻の無い中山鳥居。本殿は中山造り。

            

国重文 総社本殿 江戸前期 明暦三年(1657)

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、向唐破風造、こけら葺

正面から時計逆回りに見ていく。

                    

正面の細部

                             

向かって右側面(北面)の細部

          

背面(西面)の細部

           

向かって左側面(南面)の細部

            

その他境内

   


Feb.2011 酒井英樹

撮影:May 2009

美作国が奈良時代初頭の和銅6年(713)備前国から独立した時、美作国府がこの地に置かれ、現在地に社殿を建て美作国の全ての社を合祀したのが美作総社宮である。

現在の本殿は、永禄12年(1569)に毛利元就が造営したものを、明暦3年(1657)に津山藩主森長継が同形式で建て替えている(修理との説も)。

入母屋造の屋根で妻入りの独特の様式で中山造と呼ばれ、同じ津山市にある美作一宮の中山神社と同形式を持つ。

 <本殿>

 正面3間、側面3間、入母屋造、こけら葺

 向拝1間、唐破風の上に変形千鳥棟をあげる、中山神社と平面酷似

 縁下にも組物、蟇股(軒下同様彫刻あり)を置く

 江戸時代[明暦3年(1657)]

   

 本殿 蟇股 彫刻(軒下)

 

迦陵頻伽

 

麒麟

 

 

 

 

飛龍

 

綬鶏

 

 

鳳凰

 

山鵲

 

天女

 

 

唐獅子

 

蟇股彫刻 配置図(軒下)

 

 

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