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岡山県津山市 泰安寺

(Taianji, Tsuyama City, Okayama Pref.)

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August 14, 2023 野崎順次  source movie

岡山県津山市西寺町12
浄土宗 知恩院末寺
天崇山 泰安寺


慶長8年(1603年)信州川中島から津山藩主として入国した森忠政に従って来た旧領美濃国の金山涅槃寺住職前蓮社眼誉が南新座に創建した覚王山涅槃寺からはじまる。
現在地に移ったのは慶長14年(1609年)である。森氏は4代で断絶したが、ついで徳川家康の第2子結城秀康を祖とする松平宣富(初代)が入国し元禄11年(1698年)津山藩主松平氏の菩提寺となった。元文4年(1739年)浄光山泰安寺と改めたが、同年更に天崇山泰安寺となって現在におよんでいる。天保9年(1838年)藩主斉孝(第7代)の死去で当山に埋葬されて以来寺格が進み津山三箇寺のひとつとなり諸寺の上班にあった。
  松平家の菩提寺にふさわしい堂々たる構えを持っている。山門までのかなり長い参道の両脇は老松の並木であったが、第2次世界大戦中に松根油の採集で伐採された。本堂・玄関・客殿・庫裡は威風堂々の構えで重厚と威厳を保って目にせまるものがある。
(津山瓦版、資料提供:泰安寺)

県史跡 津山藩松平家菩提所泰安寺
津山藩主松平家の菩提寺。元禄11年 (1698)松平宣富(のぶとみ)の津山入封 (にゅうほう)に伴い、松平家の菩提所となった。寛永21年(1644)建築の本堂、天保13年(1842)建築の霊屋(たまや)、江戸時代前期の表門、初代藩主宣富・七代藩主斉孝(なりたか)の墓塔など数多くの建造物が良く保存されている。
(岡山県公式ウェブサイト)

現地説明板
        


東側正面参道入り口
     


県重文 表門
表門はやや大型の一間薬医門(やくいもん)で、17世紀中期の建築と考えられる。もとは北面していたが、寺域の整備、拡大に伴い天保10 年(1839)頃に現在の位置に移されている。妻(つま)飾(かざり)に華やかさをみせる優作である。なお、寛永21年7月の本堂建立棟札と裏面に明治40年4月の屋根替が 追記された宝暦6(1756)年正月の表門修理棟札が残されている。
(岡山県公式ウェブサイト)
           


不動堂
         


津山藩主松平家御霊屋入口、あいにく工事中で非公開
  


有米地蔵
  


庫裏
     


客殿あたり
           


県重文 本堂
桁行5間(15.9 メートル)、梁間6間(16.3メートル)の入母屋造、本瓦葺きの大型本堂である。寛永 21(1644)年建築で、平面は正面側に外陣 (げじん)をとり、その奥中央に来迎壁(らいごうかべ)を伴った内陣、奥両脇に脇間を置く。内陣は正面と両側面を高敷居で結界しており、内陣の結界が残る浄土宗本 堂としても貴重である。後年の改修はある が、江戸時代初期の浄土宗本堂の形態を よく保つ優れた建物である。
(岡山県公式ウェブサイト)
    


永代供養墓、弁天堂など
             


宇田川家三代墓所
平成元年(1989)に東京の多摩霊園から移された宇田川家三代の墓が長い忠魂碑の東側にあります。墓碑は5基あり、右から塊園(かいえん、本名は玄随)、榛斎(しんさい、本名は玄真)、榕菴(ようあん)、榕菴夫妻、興斎(こうさい)妻子の順に並んでいます。興斎妻子の墓はこの寺に江戸から寺替えされていたので、三代の墓をここに移しました。塊園先生(玄随)の墓は関東大震災の影響で斜めに亀裂が入っています。
(城西まち歩きパンフレット)
           


墓地その他
    

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