岡山県津山市 鶴山八幡宮
Tsuruyama Hachimangu, Tsuyama City, Okayama
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津山市山北159 鶴山八幡宮本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文9(1669) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、唐破風造、銅板葺 宮殿1基、棟札5枚 19800531
所在地 岡山県津山市山北159
津山高等学校の北西
神門
拝殿(岡山県指定重要文化財)
本殿(重要文化財)
寛文9(1669)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、唐破風造、銅板葺
八幡神社はもと鶴山(慶長年間津山城の敷地となった)にあり、鶴山八幡宮とも呼ばれてきた。
この地方独特のいわゆる中山造の形式をもつ本殿で規模が大きく、良質で、保存も良い。組物を三手先とし、随所に地紋彫や浮彫を施し、丸彫や篭彫の彫刻を付けるなど、きわめて装飾性に富む。旧美作国一帯に分布する中山造の遺構のうち、最も手が込んでおり、華麗である。
細部意匠の上では、江戸時代中期以降の装飾豊かな建物の早い例であり、この地方の社寺建築の動向を示す上に貴重な遺構である。
(国指定文化財等データベースより)
津山市山北159
撮影日: 2011年4月16日
当社の祭神は、応神天皇・神功皇后・玉依姫(たまよりひめ)で、社伝によれば貞観元年(859)宇佐八幡宮から勧請されたという。また、嘉吉年間(1441〜1444)鶴山に城を築いた山名忠政(やまなただまさ)が城の鎮守・源氏の氏神として勧請したとも伝わる。いずれにせよ、慶長9年(1604)森忠政(もりただまさ)が城地を鶴山に決定した時、当社はその山上にあり、築城に際して南方の覗山(のぞきやま)に遷宮された。しかし、同13年には城の北西・不知夜山(いざよいやま)(現在地)に再遷される。これについては、八幡神の神託によるものと伝わるが、社地周辺の丘陵部を牽制するという津山城下の縄張り上の配慮もあったと考えられる。
現在の本殿(国重要文化財指定)は寛文9年(1669)森長継(ながつぐ)によって建立されたもので、棟札が現存する。形式は、方三間、妻入(つまいり)の入母屋造(いりもやづくり)に向唐破風(むかいからはふ)の向拝(こうはい)を設ける中山造(なかやまづくり)で、屋根は栩(とち)葺(元来は檜皮(ひわだ)葺)である。特徴はその装飾性にあって、軒の組物(くみもの)を三手先(みてさき)とし、各材先端部の獅子・象・龍、向拝部分の牡丹の彫刻に極彩色を施し、殿内にも極彩色を用いるなど、華麗な造りである。長継は、明暦〜寛文期(1655〜1673)に総社・高野・徳守の各社殿をいずれも中山造で建立しており、当社殿がその最後に位置する。その間に発展していた装飾性がここにおいてその極致に達したものと思われる。
石段を上り、鳥居と神門をくぐる。
拝殿(県重要文化財)
本殿(国重要文化財)と釣殿(県重要文化財)
末社薬祖神社社殿(県重要文化財)
その他の末社
参考資料
「津山市の国指定文化財」 津山市の公式ウェブサイト
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