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岡山県矢掛町 大通寺

(Daitsuji Temple, Yakage Town,Okayama Pref.)

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優れた石組の庭園、寺宝も多い。
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October 4, 2020 野崎順次 source movie

岡山県小田郡矢掛町小林 1815
曹洞宗
富峰山 大通寺


宗派: 禅宗(曹洞宗)
開山: 天平15年(743)承天和尚。
開基: 後鳥羽院。永享元年(1429)曹洞開山月渓良掬禅師。
由緒: 当寺は天平15年、高峰山山頂に承天和尚(東大寺三綱)が観音菩薩を安置し大通寺を開創した。また承天和尚は高峰山山麓に黒松を植樹した。
康和元年 (1099) 佛師慶禅作の不空羂索観音を安置した。(平安後期の仏)。
鎌倉時代初期、後鳥羽院の勅願寺として霊松の現在地に移転した。そして「むら雨の山路をすぎて笠置の名より高根の松ぞすずしき」の御製を賜わり「笠置の松」と称されていた。
永享元年 (1429) 、月渓良掬禅師きたって曹洞宗寺院とし伽藍をととのえた。文明年間(1470年代) 、二世宝国慈珍大和尚 (総持寺319世) 、また安政年間 (1850年代) 、二十七世汝揖良弼(じょしゅうりょうひつ)大和尚は大本山総持寺に普住した。
文禄3年(1594)林松和尚の時、当国大守毛利黄門輝元公眼病平癒の祈願をし寺領「14石3斗」の寄進をうけ毛利家の祈願所となった。そして毛利元清により伽藍が再興された。その頃『観音様のおつげで翁婆が寺にまいり茶釜をもらって帰った。茶店をひらくと、くめどもくめどもいい湯が「ブンブク」とわき有名になった。』後に寺では「千人茶会」を開いて勝縁を結び、分福茶釜の話となった。
(岡山文庫一岡山の笑話)
貞享4年(1687)備中国観音霊場第22番札所となった。御詠歌「小林の寺の桜はさきぬらん高き峰よりかかる白雲」
近世後期には京都伏見宮家の祈願所となった。格式は末寺15ヶ寺をもつ「小本寺」格式で、曹洞禅進出の一拠点となった。以上の如く大通寺は千二百余年の歴史をもつ古刹である。
建築物は、地蔵堂(延宝5年 (1678) 作 地蔵尊〉、境内に仁王門、山門 (十六羅漢像)、本堂、開山堂(開山頂相=室町期作)が直線に並び、観音堂、座禅堂(宝暦9年(1760)建立、二方単、来迎柱などの特色)を回廊で結び、近世曹洞寺院の様式をよく伝えている。
平成8年中国地蔵尊霊場第五番札所に指定され、巡拝者を迎えている。
寺宝: 不空羂索観音(岡山県指定重文)、本堂書院裏の大通寺古庭園「石寿園」(岡山県指定名勝=文化財指定)、大珠数(文安4年(1448)の刻銘)、大魚鼓などがある。
(大通寺パンフレッより)

パンフレットと現地説明板
       

仁王門あたり
                


山門
       


回廊、座禅堂、本堂
            


岡山県指定名勝 大通寺庭園「石寿園」江戸末期 池泉鑑賞式 二百余坪
作者 - 中西源兵衛(矢掛住)
背後に高峰山を控えて上部から下部の書院に向って滝、流れを落している。中央開山堂のほぼ真北あたりの築山の上部に剛健な釈迦三尊石、須弥山石組を配し、築山下部、滝を中心に集団石組を構成し、力強い景観となっている。池泉は瓢箪形で一枚石の石橋、亀出島を意匠している。こうした集団石組が全体に広がって絵画的意匠となり、庭園全体に大きい躍動感を与えている。
(大通寺パンフレッより)

書院裏から見る。
                    


開山堂の横、本堂裏から。
     


座禅堂の北座敷から見る。池面の一部にすだれが浮いているのは、鷺の攻撃に対して鯉が隠れるためである。同じ目的で池全面に網がかけられることが多いが無粋である。すだれの方がずっといい。
                      


和尚さんのご厚意で、書院から庭に降りることができた。築山を登り、鶴石組、三尊石組、蓬莱石組を間近に見る。また、書院、開山堂、座禅堂を見下ろす。
                      


本堂、書院の襖絵など
                  


座禅堂 江戸中期 宝暦9年(1760)、
二方単、来迎柱などの特色
            


帰途、各所の彼岸花など
             

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