沖縄県那覇市 福洲園
Fukushuen,Naha city,Okinawa
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May 14,2015 中山辰夫
那覇市久米二丁目29番地(松山公園内)琉球王朝時代に親交の深かった中国の福洲市と那覇市との国際友好都市提携10周年を記念して、1994(平成6)年に造られた中国式庭園。
建設に当たっては、福洲市産の資材を使用し、福洲市が工事の基本設計、木造、石造物の加工及び技術指導を行った。
園内は中国風の庭園である。福洲がそのまま持ってこられた感じ。民間式門、青石や御影石、寿山石で彫刻した獅子、飾り塀、山石、花木、対句、額、詩、絵、書、すべての景色と様相が相まって、福洲の町並みが表現されている。
福洲市は福建省の省都で、歴史のある古い町、国家歴史文化名城に指定されている。明清代には琉球館が設置され、琉球王国との交易指定港であった。
琉球が統一される前、三山に分かれていた時代、その一つであった中山王・察度は1350年以降、明との交易を盛んにし、留学生も送り出した。
交流が盛んになると中国からの渡来人も増え、彼らは那覇の久米村(方言ではクニンダ)に居住し、そこに集落を形成した。彼ら自身は久米村を唐営、のちに唐栄と称した。びん(漢字は門がまえに虫)人三十六姓はここに始まる。びんは福建省のことで、三十六という数字は沢山の意味。彼らは様々の分野で琉球王国に貢献した。
琉球と福洲(福建省)との交流はこの時代から始まった。
久米村発祥地
沖縄に文化、技術を伝えたびん人の業績をたたえるために建立された碑。松山公園内にある。察度は明と進貢貿易・朝貢貿易を始め、「琉球国中山王」としての地位を安堵された。46年間在位し君臨したが、大交易時代の基礎を築き、琉球王国の経済・文化を大きく発展させ、世界に琉球王国の存在を知らしめた偉大なる王とされる。
それ以後、琉球国の覇者・王は中国皇帝の冊封を受ける習わしが約500年間続いた。
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