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沖縄県那覇市 伊江御殿墓

Ieudounhaka,Naha city,Okinawa

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Sep.2020 酒井英樹


 伊江御殿墓は、琉球王家第二尚氏第4代尚清王(1527年即位)の第7子朝義(伊江王子)を初代とする伊江家の墓であり、首里城北方に位置する石嶺地区の丘陵南斜面に位置する。

 造墓の経緯を記す『尚姓家譜』には、4世朝敷の代に「墳地」を拝領し、朝敷が引退した翌年の康煕26年(1687)に5世朝嘉が先代の志を継いで墳墓を造営したとある。
 また、乾隆42年(1777)には、8世朝藩らが中心となり墳地に石碑を建立したことが知られる。
 石碑は戦災により失われたが、造墓の経緯と子々孫々守り伝えるべき旨を記した碑文が家譜に採録されている。

 墳墓は、斜面を切り開いて造られた石造墓室と、その前面に擁壁および石垣で画したサンミデー(三昧台)及びナー(庭)からなる。
 琉球石灰岩の切石を用いて構築し、主要部を白漆喰仕上げとする。
 墳墓の正面には南から緩やかな石段が延び、参道両脇には石積の低い側壁を設ける。

 墓室は南面し、正面壁面(鏡石)にジョーカブイ(門冠り)と称するまぐさ石を用いて墓口を構え、その全面には左右にスディイシ(袖石)を構えた石敷を設ける。
屋根部分はカーミナーク(亀の甲)と称し、馬蹄形平面の中央部をなだらかに盛り上げる。
正面の軒は薄板石を用いて空破風状に湾曲したマユ(眉)を設ける。
 カーミナークの側面から背面にかけての周囲には、ヤジョーマーイ(袖廻り)と称する突起帯を二重に巡らし、その正面に円柱状のウーシ(臼)が取り付く。
 ウーシとマユ端部の境にクァウーシ(子臼)を設ける。

 サンミデーは、両側面の擁壁と、南に続くナー境に見切り石を配した内法東西約4.4m、南北3.0mの区画であり、供え物を捧げるための場とする。
 東西の擁壁の外側には墓室部のウーシから湾曲しながら前方に延びる突起帯ティーマーを二重に廻し、その前端部にもウーシを設ける。

 ナーは、両側面および正面に低い石垣ナーガクイ(庭囲い)を巡らし正面に出入り口を設けた内法東西6.4m、南北4.4mの区画で、洗骨および礼拝の場とする。

 なお、沖縄戦による砲撃を受けて被災し、昭和32年(1957)には修理が行われ、マユの西端部、サンミデー西面の擁壁およびティーマーの北半部、ナーガクイ東面中央部に修補の形跡がある。

 伊江御殿墓は、沖縄地方に特有なカーミナクーバカ(亀甲墓)の基本的な構成要素を備え、屋根が低く、緩やかなマユの曲線などに古式をうかがわせる。
 保存状況もよく、造墓年代が明らかな初期の亀甲墓として重要である。


               
    


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