沖縄県那覇市 旧崇元寺
Kyu Sogenji,Naha city,Okinawa
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Sep.2020 酒井英樹
崇元寺は琉球第二尚氏の歴代王家の霊廟として営まれてきた寺院。
その創立は第二尚氏初代王の尚円王時代(在位:1461-1476)と伝えられる。
崇元寺は四周に石牆を巡らし、西側に石を厚くして第一門、内側に10級の石段を経て第二門、その奥に本堂があった。
本堂と第一門及び石牆(西側)は戦前に国宝保存法に基づく国宝(現字文化財保護法の重要文化財に相当)に指定されていた。
しかし、本堂は昭和20年(1945)の沖縄戦のさなか焼失したと推定されている。
一方、第一門及び石牆も被災し一部破損したが、昭和27年(1952)に修復され現存し、沖縄が日本復帰した昭和47年(1972)に第一門とその左右に接続される石牆は 再度重要文化財に指定された。
<第一門及び石牆>
第一門は石灰岩の切石を積んだ形式。
間口13.6m、奥行4.4m、高さ3.8mで、半楕円形のアーチを石造3連アーチ門。
石牆は第一門の左右に接続しており、高さ2.5m、長さは左側が34.0m、右側32.3mで、左右とも第一門よりに脇門を持つ。
<本堂>
琉球歴代の王が1代一度の親祭を行うたびに修築されてが、10代王の尚質王が万治2年(1659)に大規模な修築したものが現存していた。
桁行7間、梁間5間、単層、入母屋造、本瓦葺
外観はすべて黒塗とし、格子窓等に赤塗を用いるが、概して簡素であった。
一方、内部は全体を極彩色を施していた。
沖縄戦でアメリカ軍の第二次攻撃によって5月12日に焼失したと推定されている。
崇元寺本堂(古写真 焼失前)
『焼失文化財』(文化庁編)より
本堂跡
手前が第二門、その奥が本堂の跡地
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