沖縄県うるま市 勝連城跡
Katsurenjo ato,Uruma city,Okinawa pref.
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Sep.27,2016 田中康平
沖縄県うるま市勝連南風原375番外
世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群) 国指定史跡
沖縄・勝連半島付け根部の丘の上にあり、13世紀前後に築城したとされる。10代目の城主阿麻和利(あまわり)が王権奪取を目指したが国王の軍に敗れ滅亡、1485年に城は廃城となったと伝えられる。
今年になって城跡からローマ時代のコインが発掘されており、手広く海外貿易を行っていたことが窺える。
琉球の城らしい曲線の城壁が美しい。
国指定データベース解説文:
沖縄本島南部の東海岸に突出した与勝半島の付け根に近い独立丘的台地上に、自然の地形を利用して築かれた一種の山城形式の城である。
東南から北西にかけて、現在米軍基地になっている(*)東郭から一段下がって鞍部のような部分の郭、それから珊瑚性石灰岩で石垣をめぐらす三の丸・二の丸・本丸と次第に急峻となり、その先は深い谷となる。
昭和40年から3年間、琉球政府文化財保護委員会によって発掘調査され、各郭の構造および他の郭に通ずる門や石段などがかなり明確になったほか、宋・元の青磁や南蛮手の陶器など、中国・南海との貿易資料も発見できた。
この城は、もと一平民であった阿麻和利が[[茂知附]もちづき]按司に代わって城主となり、勢力が増大して尚泰久の王女をめとり、護佐丸と対決してこれを滅ぼすが、1458年中山王と争い、敗死するまでの居城である。また城下町の形成など、政治史的社会史的にも重要である。
*2016.9末現在は返還済みの模様
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