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大阪府羽曳野市 野中寺

(Yachuji Temple, Habikino City, Osaka Pref.)

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December 24, 2017 野崎順次 source movie

大阪府羽曳野市野々上5丁目9番24号

高野山真言宗 

清龍山 野中寺

国史跡 野中寺旧伽藍跡

伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から、飛鳥時代〜奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明らかで、渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。

創建時の堂塔は南北朝時代までに兵火を受けて全て焼失しているが、境内には中門跡・金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡など法隆寺式伽藍配置を示す礎石を存留しており、「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されている。

(ウィキペディア「野中寺」より)

山門

               

本堂

             

金堂跡

金堂跡は塔跡に対して東側に存在していた。現在残っている土壇や礎石などから開口4間、奥行き3間の南北に長い建物で、おそらく西面していたと思われる。東面していた塔跡と金堂跡とは向き合っていたことになる。

昭和62年に地中レーダーによる探査を行い、金堂の基壇東端と南端を確認した。 

一般的に塔が西にあり金堂が東にある堂跡の配置は法隆寺に類似するが、法隆寺の場合、野中寺のように堂塔が向かい合わず、塔と金堂は南面している。堂塔が向き合う形は川原寺にみられるが、野中寺の配置とは金堂と塔が逆である。このことから、野中寺は飛鳥時代に多く用いられた四天王寺の配置方法より新しく、法隆寺より古い形態で、白鳳期の官寺に用いられていた川原寺の変形した配置方法が用いられていたと考えられる。

(現地説明板)

               

塔跡

この土壇は心礎(塔の中心柱を支える礎石)が存在することから塔跡と考えられていた。

昭和60年にこの土壇を発掘調査したところ、凝灰岩を加工した石材でつくられた「壇上積み基壇」と呼ばれる基壇が認められた。この基壇は、東西13.6m、南北12.9m、高さ約1.5mの規模を持ち、東側に階段が存在した。このことから、塔が金堂の方を向いていたことになる。

基壇の中央に心礎を置き、その四方に12個の礎石を配しており、他の寺院の塔に見られる四天柱礎は存在しなかった。心礎は、径71cmの円孔があり、その周囲に半円形の支柱孔を三つもち、上面に亀の彫刻が認められる。円孔の内側には方形の舎利孔がある。

塔跡の調査で「庚戌年正月」の記念名平瓦が出土しているので、650年頃には塔が設立されていたことがわかった。

(現地説明板) 

                   

意味ありげな石造物

     

府文 ヒチンジョ池西古墳石棺

           

石碑と鐘楼

            

大師堂、庫裏、地蔵堂など(府文の方丈や勧学院が含まれているかも)

                           

墓地

     

お染久松の墓所

               

 

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