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大阪府東大阪市 旧鴻池新田会所

The meeting place of Konoikeshinden, Higashiosaka city, Osaka

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東大阪市鴻池元町674-3 旧鴻池新田会所 本屋 重文 近世以前/住宅 江戸中期 宝永4(1707) 桁行29.7m、梁間12.8m、西面入母屋造、東面切妻造段違、南面便所、玄関、土庇及び米踏部屋附属、北面庇付、西面庇及び下屋附属、北面突出部 桁行3.0m、梁間11.8m、北面下屋附属、入母屋造、本屋屋敷蔵間接続部本瓦及び桟瓦葺棟札3枚 19800126

東大阪市鴻池元町674-3 旧鴻池新田会所 屋敷蔵 重文 近世以前/住宅 江戸中期 延享3(1746) 土蔵造、桁行7.8m、梁間4.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 19800126

東大阪市鴻池元町674-3 旧鴻池新田会所 文書蔵 重文 近世以前/住宅 江戸後期 天明6(1786) 土蔵造、桁行6.0m、梁間4.9m、二階建、切妻造、東面庇附属、桟瓦葺納札1枚 19800126

東大阪市鴻池元町674-3 旧鴻池新田会所 米蔵 重文 近世以前/住宅 江戸後期 享和2(1802) 土蔵造、桁行22.9m、梁間10.5m、切妻造、東面庇附属、本瓦葺棟札1枚 19800126

東大阪市鴻池元町674-3 旧鴻池新田会所 道具蔵 重文 近世以前/住宅 江戸末期 天保15(1844) 土蔵造、桁行13.6m、梁間7.6m、一部二階、切妻造、本瓦葺、東面庇附属棟札1枚 19800126


May 24, 2015 野崎順次 source movie

大阪府東大阪市

旧鴻池新田会所

(Former Konoike Shindenkaisho, namely the meeting place for operating newly developed farmland established by Zen-emon Munetoshi Konoike the third, Higashiosaka City, Osaka Pref.) 鴻池新田会所は、江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理・運営をおこなった施設です。江戸時代中期以来の古建築群と庭園、鴻池家から寄贈された民具類を現代に伝えています。近代的な市街化が進んだ東大阪市周辺に残る数少ない歴史的建造物群のひとつです。10,662m2の会所敷地は国の史跡で、本屋、屋敷蔵、文書蔵、米蔵、道具蔵と江戸時代の本屋座敷の棟札、米蔵の御札は重要文化財です。

(鴻池新田会社ウェブサイトより)

パンフレットと現地説明板

冠木門

 

朝日社

表長屋門

 

国重文 本屋(ほんや) 江戸中期 宝永四年 (1707)

桁行29.7m、梁間12.8m、西面入母屋造、東面切妻造段違、南面便所、玄関、土庇及び米踏部屋附属、北面庇付、西面庇及び下屋附属、

北面突出部 桁行3.0m、梁間11.8m、北面下屋附属、入母屋造、本屋屋敷蔵間接続

本屋北面

 

本屋東面(庭園側)

 

本屋西面および北面

本屋内部、土間および板の間

本屋内部、座敷および居室

本屋北側井戸

庭園

国重文 屋敷蔵 江戸中期 延享三年 (1746)

土蔵造、桁行7.8m、梁間4.9m、二階建、切妻造、本瓦葺

 

居宅

 

国重文 文書蔵 江戸後期 天明六年 (1786)

土蔵造、桁行6.0m、梁間4.9m、二階建、切妻造、東面庇附属、桟瓦葺

国重文 米蔵 江戸後期 享和二年 (1802)

土蔵造、桁行22.9m、梁間10.5m、切妻造、東面庇附属、本瓦葺

 

国重文 道具蔵 江戸末期 天保十五年 (1844)

土蔵造、桁行13.6m、梁間7.6m、一部二階、切妻造、本瓦葺、東面庇附属

 

乾蔵

 

井路川舟

裏長屋門

船着場、周濠

 

参考資料

国指定文化財等データベース


Feb.2012 大野木康夫 source movie

所在地 大阪府東大阪市鴻池元町2-30

2012.2.25撮影 

葛城山系に源をもつ大和川は、古代以来、その治水問題で民衆や為政者を悩ませていたが、宝永元年(1704)江戸幕府は新河道を築造することにより、永年の悩みを解決した。

この大事業の副産物として、旧河床・旧池床は新田として開発されることになり、初め大坂町人が共同して請負ったが、宝永2年鴻池善右衛門宗利が全面的に譲り受けた。

新田開発は、宝永4年(1707)、120町1反6歩で一応完工し、「鴻池新田」の名が与えられると同時に、新田を管理するための会所が設けられ、新田支配人が置かれた。

会所は濠をめぐらした台形状の敷地の内に、母屋・門長屋・文書蔵・米蔵等を配置したもので、現在もこれらの建物及び濠を見ることができる。

鴻池新田会所は、町人請負新田の代表である鴻池新田の中心をなす遺構であり、幕末・明治の豪商鴻池家の成長過程を知る上でも、欠かせないものである。河内平野を流れる大和川の付け替え後、町人請負として開発された鴻池新田の会所で、宝永年間に開設された。

周囲に堀を回した敷地の中央に本屋が建ち、その北に屋敷蔵、西方に文書蔵・米蔵・道具蔵が並ぶ。

本屋は大規模で、土間には豪壮な梁組を見せるが、床上部は質素であり、また、屋根は破風を多用して城郭風の趣もみせるなど、会所の建築としての特色をよく示している。

四棟の蔵は屋敷構えの一環として重要であり、米蔵が特に大規模なのも特色の一つである。

(国指定文化財等データベースより)

 

旧鴻池新田会所はJR学研都市線鴻池新田駅の南東にあります。

駐車場はありませんが、南側に比較的大きなコインパーキングがあります。

入口は南側です。

鴻池新田は大坂今橋の豪商鴻池善右衛門が開発した新田で、この会所は新田経営の根拠として昭和25(1950)年まで鴻池家の支配人が使っていたものです。

現在は東大阪市が管理、公開しています。

表長屋門

明治時代に再建されたものです。

 

朝日社会所の鎮守社です。

本屋(重要文化財)

宝永4(1707)年の建築

桁行29.7m、梁間12.8m、西面入母屋造、東面切妻造段違、南面便所、玄関、土庇及び米踏部屋附属、北面庇付、西面庇及び下屋附属、北面突出部 桁行3.0m、梁間11.8m、北面下屋附属、入母屋造、本屋屋敷蔵間接続部本瓦及び桟瓦葺

会所の中心となる建物で、西側の土間を中心とした部分と、東側の座敷部からなります。

西側は入母屋屋根で複雑な形状をしています。

庭園座敷部の西に広がります。

弁天池が中心となっています。

 

屋敷蔵(重要文化財)

延享3(1746)年の建築

土蔵造、桁行7.8m、梁間4.9m、二階建、切妻造、本瓦葺

本屋の北側に接続しています。

本屋の西側にも土蔵が並んでいます。

 

文書蔵(重要文化財)

天明6(1786)年の建築

土蔵造、桁行6.0m、梁間4.9m、二階建、切妻造、東面庇附属、桟瓦葺

建ち並ぶ土蔵の一番南に位置します。

米蔵(重要文化財)

享和2(1802)年の建築

土蔵造、桁行22.9m、梁間10.5m、切妻造、東面庇附属、本瓦葺

会所で一番大きな土蔵です。

内部では新田の歴史等の展示をしています。

 

道具蔵(重要文化財)

天保15(1844)年の建築

土蔵造、桁行13.6m、梁間7.6m、一部二階、切妻造、本瓦葺、東面庇附属

米蔵の北側の土蔵です。

内部には農機具などが展示されています。

居宅本屋の南、表長屋門の西にあり、会所支配人の役宅でしたが、明治・大正時代には鴻池家が設立した第十三国立銀行(鴻池銀行を経て三和銀行)の出張員詰所として使われていました。

 

井路川舟新田内の水路で使われていました。

 

裏長屋門、舟着場跡

本屋の北にあります。

裏長屋門を出ると、国鉄片町線(現JR学研都市線)の高架化で埋め立てられた北側周濠の船着場です。

 

この日は雨が降っていて撮影環境は良くなかったです。

交通量の多い府道やJRの電車の音が響きますが、ときおり静寂さが戻ります。

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