JAPAN GEOGRAPHIC

大阪府東大阪市 日下貝塚

(Kusaka Shellmound, Higashiosaka City, Osaka Pref.)

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April 15, 2018 野崎順次 source movie

国史跡

縄文時代の東大阪は、東に生駒山麓の山々が連なり、西には河内湖が広がっていた。日下(くさか)の縄文人達も、河内湖で魚介類を採取し、生駒山麓で鹿や猪を追いかけていたと思われる。日下貝塚は、孔舎衛(くさか)東小学校の南側に広がる縄文時代後期から晩期の集落跡である。昔の地名は「貝畑」と言い、古老に聞けば30年ほど前まで周辺から貝殻がたくさん見つかったそうである。昭和47年に、縄文時代貝塚として国指定史跡となった。

貝塚からは、セタシジミ、オオタニシなどの淡水産の貝や、ハマグリ、サザエ、カキなどの海水産の貝に混じって、 シカ、イノシシなどの動物の骨も発見されている。日下貝塚では、石がこいの炉を持つ竪穴住居が発見されている他、多くの墓も発見された。縄文時代の墓は、地面に穴を掘って遺体を埋葬している。このような墓を土壙墓(どこうぼ)と呼ぶが、日下貝塚では34基以上の土壙墓が発見されている。ここでの人骨は、ほとんど穴の中に手足を折り曲げた状態で埋葬されている。このような埋葬方法を屈葬(くっそう)と呼ぶ。屈葬には身体を上に向けたもの、横にしたもの、うつぶせにしたものなど様々な形がある。日下貝塚の土壙墓群には、丸く環状に廻るものがあり、これを環状列墓(かんじょうれつぼ)と呼ぶ。縄文人も、人が死ぬと適当に埋葬したのではなく、一定の規則に従って埋葬していたのである。

(「邪馬台国大研究 / 歴史倶楽部 」ウェブサイト 河内を歩くより)

道路側の石碑

         

石碑裏の住宅地を抜けると日下貝塚の保存地が広がる。

           

見事なハナミズキなど

     

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