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大阪府枚方市 片埜神社

Katanojinja, Hirakata city, Osaka

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枚方市牧野阪2-21-15 片埜神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長7(1602) 三間社流造、檜皮葺 棟札1枚 19170405

November 5,2017 大野木康夫 source movie

                         


Mar.2012 大野木康夫 source movie

2012.3.13撮影 

所在地 大阪府枚方市牧野阪二丁目21-15

片埜神社は枚方市の牧野地区にあります。

かつては一宮牛頭天王社といわれ、大阪城の鬼門守護の社とされており、現在の本殿は豊臣秀頼の造営によるものです。

本殿(重要文化財)

慶長7(1602)年の建築

三間社流造、檜皮葺

平成21(2009)年から大規模な保存修理工事が行われていましたが、平成23(2011)年に完成し、鮮やかな朱塗りの社殿になっています。


Jan.2012 酒井英樹

 撮影:2011年12月

<本殿>

 <組物>

<蟇股彫刻>

《竹に虎》

《椿に鵯(ひよどり)》

《芙蓉に鶺鴒(せきれい)》

《牡丹》

 <脇障子壁画>


Apr.2011 酒井英樹

撮影:2007年11月

片埜神社の創立については明らかでないが、古来より牧の郷の一宮として崇敬されてきた神社で、平安時代の延長5年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている延喜式内社であった。

社殿では14世紀前半に動乱で兵火にかかり社殿を焼失したとある。室町中期に再建された社殿も戦国時代後期の天文・永禄年間頃に再び焼亡したと伝えられている。

現在の社殿は、大坂城から見て鬼門に当たるため、慶長7年(1602)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として造営したものであり、この時の棟札が残されている。江戸時代まで神宮寺を併設していたが、明治の神仏分離で神宮寺は廃絶され現在に至る。

<本殿>

3間社、身舎側面2間、浜床付、流造、檜皮葺

 江戸時代[慶長7年(1602)]

片埜神社本殿は3間社流造の形式をとっているが、並列に並んだ1間社流造の社殿を2棟を横に連結した形をとっている。そのため、通常の3間社流造に比べ中央の柱間が狭く、正面の左右2箇所に階段が設けられている。しかし、ほぼ同時期に建立された泉穴師神社[大阪府]本殿は中央間に神座がないのに比べ扉口を設けるなど3間社流造に近い形式を持つ。

慶長7年(1602)に豊臣秀頼が賤ヶ岳七本槍の一人である片桐且元を奉行にして再建した。東面の妻飾に「五三の桐」が彫刻されている。

本殿の木部全体に朱漆塗と極彩色を施す装飾が用いられている。豊臣秀頼が残した遺構(都久夫須麻神社本殿[滋賀県長浜市]・北野天満宮本殿[京都市]など)で多く見られ、日光東照宮の装飾へと発展していく手法の先駆けとなる建造物として重要な遺構である。

平成23年9月まで本殿は修理中。

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