大阪府池田市 無二寺
(Mujiji Temple, Ikeda City, Osaka Pref.)
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完存する南北朝の宝篋印塔、隅飾突起に蕨手文様 |
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June 2, 2018 野崎順次 source movie
大阪府池田市古江町387
曹洞宗 鼓瀧山 無二寺
この地にあった行基開基の「海光山 等覚寺」が寿永の乱で焼失して廃寺となり、永禄5年(1462年)、僧曇清が無二寺として創建したと伝えられている。
寛政10年(1798年)刊の『摂津名所絵図』に和泉式部塔、古江村無二庵にありと記され、和泉式部は頼光四天王のひとり平井保昌の妻となり、この辺りに住んでいたが、ある秋の夜、鹿の鳴く声に狩に出ようとする夫へ、「ことわりやいかでか鹿の鳴かざらんこよひ限りの命と思へば」と歌えば、保昌は感じて、以後狩をやめた。今も猟師がこの墓のそばを通れば獲物がとれないという。
(ウィキペディア「無二寺」より)
府文 石造宝篋印塔 一基
高さ205cm
昭和五十二年三月三十一日指定
この宝篋印塔は、蓮華座の上に蕨手文(わらびてもん)を表す。類例があまりない文様の隅飾突起(すみかざりとっき)を持っている。
石材は花崗岩で、基礎の北西側面には「造立結縁(けちえん)人数」として、僧俗あわせて一三人の名前が彫られている。また、基礎の北東側面には「貞和五己丑(一三四九年)五月三」と北朝の年号による建立年月日が彫られている。南北朝時代の安全な状態で残っている貴重な製造文化財である。
なお、「摂津名所図会」(寛政十年=一七九七刊)には、この宝篋印塔を「和泉式部塔」と記している。
平成十四年十月 池田市教育委員会
(現地説明板より)
正面は南東に向いている。向かって左が北西側面、右が北東側面になる。
その他の石造物
近くの家はそれぞれなかなかの風格である。
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