大阪府和泉市 聖神社
Hijirijinja,Izumi city,Osaka
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和泉市王子町919 聖神社 末社三神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長9(1604) 三間社春日造、檜皮葺 19770128
和泉市王子町919 聖神社 末社滝神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長9(1604) 一間社春日造、正面軒唐破風付、檜皮葺 19770128
December 28,2019 大野木康夫
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所在地 大阪府和泉市王子町919
聖神社は和泉市の信太山丘陵を境内地としており、和泉五社の一つ(和泉国三ノ宮)です。
最近、社殿の保存修理を行っており、訪問した令和元年12月現在では、本殿は修理完了、滝神社本殿と三神社本殿は修理は完了していましたがまだ神様は仮殿(拝殿)におられる状態でした。
拝殿
末社三神社本殿(重要文化財)
慶長9(1604)年の建築
三間社春日造、檜皮葺
末社滝神社本殿(重要文化財)
慶長9(1604)年の建築
一間社春日造、正面軒唐破風付、檜皮葺
ともに関ヶ原合戦後に豊臣秀頼が建立したものです。
本殿の右手の同じ瑞垣内に鎮座しています。
末社三神社本殿
末社滝神社本殿
本殿(重要文化財)
慶長9年(1604)の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、檜皮葺
方三間の大きな社殿で、正面に千鳥破風、向拝に唐破風が付く派手な外観をしています。
修理後で大変綺麗な色彩をしていますが、瑞垣が高く撮影しにくい状況です。
大阪府和泉市王子町919
撮影日: 2012年10月6日
白鳳三年(674)、天武天皇の勅願によって信太首が創建したと伝えられ、以降延喜式内社、和泉国五社明神の三の宮に列し、「信太明神」の別称でも人々に親しまれている。
祭神の聖大神は『古事記』に「聖神」と登場する大年神の御子神である。『和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起』によると本地仏は地蔵菩薩となっている。
現在の社殿は豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもので、本社本殿や末社本殿が重要文化財に指定されている。
現地説明板と鳥居
拝殿、明日はだんじり。
国重文 聖神社本殿 桃山 慶長九年(1604年)
桁行三間梁間三間の入母屋造檜皮葺(三間社入母屋造)。正面に千鳥破風を飾り、一間の軒唐破風の向拝を設ける。桃山文化の粋を集めた極彩色の装飾が施された壮麗な社殿である。
向かって右側(東面)
向かって左側(西面)
国重文 末社三神社本殿 桃山 慶長九年(1604年)
三間社春日造とよばれる全国的にも珍しい建築様式で、屋根は檜皮葺、正面三間、身舎側面二間の前面に一間通りの庇を設け、極彩色が施されている。明治6年(1873年)に現在地に遷座した。
国重文 末社瀧神社本殿 桃山 慶長九年(1604年)
三神社の北側に隣接、屋根は檜皮葺、正面一間、身舎側面一間の一間社春日造。向拝は軒唐破風に作る。明治6年(1873年)に現在地に遷座した。
府文 末社平岡神社本殿 桃山 慶長十一年(1606年)
一間社春日造檜皮葺。現在の社殿は慶長9年から11年にかけての建立である。
その他境内
帰途
参考資料
現地説明板
ウィキペディア「聖神社(和泉市)」
撮影:2008年11月:本殿、本殿蟇股
2010年11月:本殿、末社三神社本殿、末社滝神社本殿
<本殿>
正面3間、側面3間、組物出組、中備蟇股、二軒繁垂木、入母屋造、千鳥破風、檜皮葺
桃山時代[慶長9年(1604)]
2008年11月撮影
2010年11月撮影
蟇股彫刻
<末社三神社本殿>
3間社、身舎側面2間、縁三方、浜床・浜縁付、組物出三斗、二軒繁垂木、春日造、、檜皮葺
桃山時代[慶長9年(1604)]
<末社滝神社本殿>
1間社、身舎側面1間、縁三方、浜縁付、組物出三斗、二軒繁垂木、庇軒唐破風付、春日造、、檜皮葺
桃山時代[慶長9年(1604)]
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