大阪府和泉市 泉井上神社
(Izumi-inoue-jinja Shrine, Izumi City, Osaka Pref.)
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和泉市府中町6-2-38 泉井上神社境内社和泉五社総社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長(1596-1615) 三間社流造、檜皮葺 19240415
大阪府和泉市府中町6-2-38
和泉国総社 泉井上神社
撮影日: 2012年6月23日
当神社は井八神社・井戸ノ森八幡宮と称されることもあり、国土守護神又殖産興業の神として御神徳を示す。神功皇后・仲哀天皇・応神天皇のほか、神功皇后にしたがって朝鮮にわたった神々四十五座を加えた計四十八座を祭神とし、その神像四十八躯を蔵す。
境内の清水は神功皇后渡韓の途次、一夜にして湧出したので霊泉と名づけられ、国名の源となる。のち王子神社・八幡神社・菅原神社・式内社和泉神社が合祀されていまにいたっているが、特に和泉国衙内の神社であるところから和泉の総社(大鳥・穴師・聖・積川・日根の五社合祀)が勧請されて国司以下宮人の崇敬をあつめていた。
和泉五社総社拝殿、摂社
奈良時代に河内国から分離し、和泉国が設置された際、国府の所在地府中に、国内の五大社を総合して勧請し、参詣の便を図ったといわれている。
国重文 泉井上神社境内社和泉五社総社本殿 桃山 慶長(1596 - 1615)
正面桁行三間、身舎側面二間、屋根が一間分前へ延びて庇をなす、三間社流造、桧皮葺き。 正面と両側面には縁を廻し組高欄を設ける。向拝位置は浜床を張って半高欄を置き、五級の階段にも宝珠柱の立つ登高欄を設けている。また、内部は内外陣境を三枚の両開き板戸で分かつ。主要部分は丹塗りで極彩色を施し、よく当時の様式を残しており、造営時期が明確な社殿として貴重である。慶長十年(1605)に、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したと伝えられる。
正面の細部
右側側面の細部
左側側面の細部
泉井上神社
府史蹟 和泉清水
古くから「国府清水」または「和泉清水」とよばれ、霊泉として祭られるとともに、農業用水として周辺の農地を潤してきた泉である。社伝によると、泉は、神功皇后の新羅出兵の際、一夜にして湧き出たことから霊泉として祭られるようになったという。水は常に清らかに澄み、その味は甘露であるとして広くその名を知られ、豊臣秀吉も大坂城に運ばせて、茶の湯に用いたという。ここは古来、和泉国和泉郡和泉郷とよばれた地であるが、「和泉」という地名も、また「泉井上神社」の社名もこの泉に由来すると伝えられている。
その他、境内
府有文 石造板状塔婆 南北朝 正平三年五月(1348)
砂岩製の板石で造られた塔婆で、一般には枝碑とよばれ、供養追善のために建てられたものである。上部の梵字は、バク(釈迦)、マン(文殊菩薩)、アン(普賢菩薩)の釈迦三尊種子を表わす。
参考資料
泉井上神社HP
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