大阪府泉大津市泉穴師神社
(Izumi-anashi Shrine, Izumi-otsu, Osaka)
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泉大津市豊中町1-1-1 泉穴師神社摂社住吉神社本殿 重文 近世以前/神社 鎌倉前期 文永10(1273) 一間社春日造、正面軒唐破風付、背面入母屋造、檜皮葺 棟札1枚、棟札1枚 19490218
泉大津市豊中町1-1-1 泉穴師神社摂社春日神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長7(1602)頃 一間社春日造、正面軒唐破風付、背面入母屋造、檜皮葺 棟札1枚 19490218
泉大津市豊中町1-1-1 泉穴師神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長7(1602) 三間社流造、正面千鳥破風二カ所付、檜皮葺 棟札5枚 19490218
大阪府泉大津市豊中町1−1−1
撮影日: 2011年2月20日
泉穴師神社は、式内社で和泉五社のひとつ、泉州二ノ宮であります。穴師の里、千古の神境に神殿奥深く鎮ります。
主祭神は、農業の神であらせらる 天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)、紡織の神であらせらる 栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)の御夫婦二柱の神であります。天忍穂耳尊は天照大御神の御子神で皇室の御祖神の系列にあらせられ、栲幡千々姫命は御名の通り、栲は古い昔衣装の原料となる麻・絹・綿等一切の繊維類の総称であり、幡は「繒」「服」の字に相当し、布帛の総称で、物「はたもの」は、織機の意味で衣服の紡繊に種々工夫改良を加えられた姫神様であらせられ、泉州の地が今日農耕並に紡繊を似って繁栄して居りますのも洵に御神徳のいたすところであります。衣食の安定は政の中心でありますので、往古より歴代の天皇の当社に対する御崇敬は、文献に数々残されて居りまして枚拳にいとまありません。又、古来より、幼児虫封じに霊験あらたかと云はれ、参拝者多数ございます。
考謙天皇(天平勝宝年中)村上天皇(天暦中)崇徳天皇(大冶中)の御宇鎮疫祈願御叡感の綸旨を賜はって居りますし、正倉院文書によりますと聖武天皇が和泉国五社大明神に社領御下賜の際、当社には大鳥神社と共に千三百石を下賜されました。
武家の方に一班をあげますと、天正三年十月二十日将軍織田信長公より社領安堵の御朱印状を給はって居ります。
文に
当国五社大明神領事如近年有来可有社納之次山林竹木等一切不可伐採候也仍状如件
天正三年十月二十日 信 長 朱印
泉州五社へ
説明板とアプローチ
太鼓橋(反橋)、二の鳥居
真ん中の太鼓橋は昔、御神体を奉安した神輿を担いで渡っていました。現在は左の石畳を通ります。だんじりも左の石畳から宮入りします。
境内
拝殿、入母屋造、瓦葺
こちらの拝殿内にて、祭典や御祈祷を執り行います。鳥居が2基並んでいるのは、本殿に祭られている夫婦2柱の神に1基ずつ備え付けられたものと考えられます。
重文 本殿、三間社流造、桧皮葺
御祭神 天忍穂耳尊 栲幡千千姫命
本殿は、慶長七年豊臣秀頼公が片桐東市正且元に命じ大修築されたもので、棟札に権大納言 豊臣秀頼公 片桐東市正且元 花押
子時慶長七年寅壬十月 如意珠日 奉行 藤林与左衛門尉定吉 花押
大工 次郎左衛門
とあり、流造正面千鳥破風付のものを二殿連続したもので、一名比翼造とも云い、細部の手法は桃山時代の特徴を現しています。
穴師天満宮(合祀殿)、向破風造真橡付、銅葺
御祭神 菅原道真公 他七座
この社殿は明治四十一年勅令により 板原村社、菅原神社を社殿共に移転し、 虫取村社、八坂神社を初め 、近在の神社を合祀したものであります。
重文 摂社 住吉社、一間社入母屋造、檜皮葺
御祭神 表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長足姫命
この社殿は境内社では一番古い建築様式で、室町時代の特徴をよく現しています。
重文 摂社 春日社、一間社母屋造、檜皮葺
御祭神 天富貴命 古佐麻槌命
この社殿も桃山時代の特徴をよく具現しています。
参考資料
泉穴師神社HP
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