大阪府柏原市 安福寺
(Anpukuji Temple, Kashihara City, Osaka Pref.)
Category
|
Rating
|
Comment
|
General
|
|
静寂な山寺に国重文の石棺蓋 |
Nature
|
|
|
Water |
|
|
Flower |
|
|
Culture |
|
直弧文のある割竹形石棺蓋 |
Facility |
|
|
Food |
April 21, 2018 野崎順次 source movie
大阪府柏原市玉手町7−21
玉手山 安福寺
寺伝によれば奈良時代に行基によって建立されるが、中世には荒れ果ててしまい、小堂がただ一棟あるのみであったという。
寛文年間(1661年 - 1672年ごろ)に浄土宗の僧・珂億上人がこの地を訪れ、安福寺を再建する。尾張大納言・徳川光友は珂億上人の学徳に深く帰依し、安福寺に寺田を寄付するなど、明治維新に至るまで歴代尾張徳川家により援助を受けた。光友が寄進した「山水蒔絵硯箱」、「牡丹蒔絵硯箱」「菩提樹蒔絵香筥」は国の重要文化財に指定されている。また、境内には明治時代に玉手山3号墳(勝負山古墳)から出土したとされる「割竹形石棺蓋」が置かれており、かつては手水鉢として使われていた。これも重要文化財に指定されている。
(ウィキペディア「安福寺」より)
北門から横穴群の間の参道を進み、境内に入る。
国重文 割竹形石棺蓋
砂質凝灰岩の一石造りで、断面が蒲鉾形を呈する割竹形石棺の蓋である。縁厚21〜25センチ、天井部の厚さ20センチ前後で、外面蓋縁から幅約11センチに突帯をめぐらせて、ここに直弧文が陰刻されている。この直弧文は、棺蓋の長辺・短辺にそれぞれ六単位・二単位ずつ連続する。また両端部には各一箇の縄掛突起を造り出していた痕跡もあるが、現在は削平されている。蓋の中央に後の加工による水抜き孔が穿たれ、部分的に磨耗劣化した箇所も認められるが、蓋の内外面には加工時の成形痕も観察でき、保存状態は良好で旧規をよく保っている。
木石棺蓋は、玉手山古墳群に属する勝負山古墳(前方後円墳、全長約150メートル)から明治時代初めの頃出土し、安福寺境内に手水鉢として置かれたと伝えられている。現在は、割竹形石棺の蓋部をのこすのみであるが、蓋縁にめぐらせた直弧文帯は、他の割竹形石棺には類例をみない稀少な遺例である。
古墳時代前期に盛行したこの種の石棺のうちでも、ひときわ光彩を放つ存在であると共に、石棺変遷の諸段階をみるうえに不可欠の遺品として、その学術的価値は高い。
(文化遺産オンラインより)
本堂、その他境内
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中