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大阪府河内長野市 烏帽子形八幡神社

(Eeboshigata hachimanjinja, Kawachinagano, Osaka)

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河内長野市喜多町305 烏帽子形八幡神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 文明12(1480) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺棟札1枚 19400514


September 28, 2019 野崎順次 source movie

大阪府河内長野市喜多町305

国重文 本殿 室町後期 文明12年(1480年)

入母屋造檜皮葺。桁行三間、梁間二間、身舎柱は円柱とし、側面後端に脇障子を設け、木部は朱塗りとする。正側面三方に縁を設け、擬宝珠付き高欄をめぐらす。向拝は三間の総向拝で、中央に五段の木階を造り、浜床が付く。

(ウィキペディア「烏帽子形八幡神社」より)」

                              

その他境内

      


July 21,2014 大野木康夫 source movie

所在地 大阪府河内長野市喜多町305 烏帽子形八幡神社は河内長野の中心街の南西、烏帽子形山の東の中腹に鎮座しています。

南海・近鉄の河内長野駅から1㎞ほどのところです。

車で行く場合は、河内長野駅西の本町(七つ辻)交差点から国道371号旧線(高野街道)を南行し、上田町北の交差点を右折して坂を登って行けば右手に南参道の鳥居が見えるので、そこを入っていくと駐車スペースがあります。

烏帽子形山は中世以降、河内守護職畠山氏や三好氏の勢力が争奪を繰り広げた烏帽子形城があったので、国指定史跡となっています。

南側鳥居

 

説明板

 

本殿正面から

    

本殿(重要文化財)文明12(1480)年の建築

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺正面側は石垣なので、瑞垣の両サイドからの撮影となりました。

                                  


June 2012 野崎順次 source movie

大阪府河内長野市喜多町305

撮影日: 2012年8月16、18日祭神 素盞鳴命、足仲彦命、神功皇后、応神天皇烏帽子形山には楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城という城があった。この神社は、城の鎮護として創祀したものと伝えられる。その後荒廃したが、文明十二年(1480年)に、河内源氏の末裔と言われる石川八郎左衛門尉が新たに入母屋造りの社殿を建立した。その後元和三年(1617年)に楠木一族の後裔と言われる甲斐荘喜右衛門正保が、大阪四天王寺の普請奉行を勤めたが、元和八年(1622年)にその余材で改修したとされる。近鉄・南海河内長野駅から高野街道をたどる。出発点は道標と吉年邸のくすのきである。

         

高野街道は右に折れ坂を下る。

      

街道を挟んで天野酒で名高い造り酒屋がある。南側の建物は国登録文化財である。

国登文 西條合資会社 江戸末期(1830-1867)

高野街道に北面して建つ。桁行十間半梁間間半のつし二階建で入母屋造,桟瓦葺とし,北と東に庇がつく。東半をミセドマ,西半を居室とし,南に吹抜の土間と座敷が突出する。正面は1階西寄りを出格子とし,塗籠の2階には虫籠窓を開き,出桁造とする。

          

少し進んで左に折れ、坂道を上り、国道371号線を横切り、山裾の村落を進む。

                     

烏帽子形八幡神社の下に出る。

      

石段を上る。途中に末社の恵比須社(島根県美保神社御分霊)がある。

              

さらに石段を上ると本殿である。

      

国重文 本殿 室町 文明十二年(1480)

入母屋造檜皮葺。桁行三間、梁間二間、身舎柱は円柱とし、側面後端に脇障子を設け、木部は朱塗りとする。正側面三方に縁を設け、擬宝珠付き高欄をめぐらす。向拝は三間の総向拝で、中央に五段の木階を造り、浜床が付く。瑞垣の外から見る。

         

瑞垣の中に入れてもらって、(昭和41年の解体修理以来の)色褪せたとはいえ華麗な彫刻を見せて頂く。

                           

その他の境内

            

参考資料

ウィキペディア「烏帽子形八幡神社」

文化遺産オンライン


Mar.2011 酒井英樹

烏帽子形八幡神社

 大阪府河内長野市 撮影:2008年5月

 烏帽子形八幡神社は創建の年月は詳からではない。社伝によると麓に室町時代初期(南北朝時代)に烏帽子型八幡神社のある烏帽子形山に烏帽子形城があった。太平記で有名な楠木正成の弟である楠木正氏が城の鎮護として創建祭祀したものとされている。

 その後久しく荒廃していたが、文明12年(1480)に河内源氏の末裔と言われる石川八郎左右衛門尉が社殿を建立した。その後室町時代に一度修理されたのみで、再び荒廃した。

 楠木氏の後裔と言われる甲斐荘喜右衛門正保が、元和3年(1617)大坂の役により焼失した四天王寺再建の普請奉行を勤めた。その時の余材を以て元和8年(1622)に修理が執り行われた。

 本殿は墨書及び棟札から文明12年(1480)の建立であることが判っている。昭和25年(1950)に重要文化財に指定された。昭和40年(1965)より解体修理を実施して、建立時の姿に復元された。 <本殿>

 正面3間側面2間 入母屋造 檜皮葺

 身舎は円柱、正側3方に縁をめぐらし、中央に五段の木階をつける。

 宝珠の高欄を供え、側面後端に脇障子を置く。

 向拝は3間の総向拜で向拝床浜床を設ける。

 内部は、内陣と外陣とに分かれる。

 室町時代[文明12年(1480)]

  

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