大阪府河内長野市 金剛寺
(Kongoji Temple, Kawachinagano, Osaka)
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河内長野市天野町996 金剛寺御影堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長11(1606) "桁行四間、梁間四間、一重、宝形造、正面向拝一間、背面向拝二間観月亭 桁行南面一間、北面二間、梁間一間、一重、東面向唐破風造、西面御影堂に接続総檜皮葺" 棟札1枚 19070527
河内長野市天野町996 金剛寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 19070527
河内長野市天野町996 金剛寺食堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺、正面軒唐破風付、本瓦葺 19411106
河内長野市天野町996 金剛寺多宝塔 重文 近世以前/寺院 平安後期 平安後期 三間多宝塔、こけら葺 19070527
河内長野市天野町996 金剛寺楼門 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺 棟札1枚 19070527
河内長野市天野町996 摩尼院 書院 重文 近世以前/寺院 桃山 桃山 桁行16.9m、梁間12.5m、一重、入母屋造、茅葺、四面庇付、本瓦及び桟瓦葺 19650529
河内長野市天野996 金剛寺 22棟(五仏堂、薬師堂、閼伽井屋、護摩堂、法具蔵、求聞持堂、開山堂、宝蔵、経蔵、弁財天社本殿、八大龍王善女龍王社本殿、天照皇大神社本殿、築地塀2所、鎮守水分明神社本殿、鎮守丹生高野明神社本殿、鎮守社拝殿、鎮守社鐘楼、旧理趣院表門、旧真福院表門、南門、総門)
June 5, 2022 野崎順次 source movie
大阪府河内長野市天野町996
古義真言宗 真言宗御室派大本山
天野山 金剛寺
本坊(北朝御座所)
パンフレット
表門(国登文)
客殿(国登文)南の築山のある池泉庭園
茶室(国登文)と持仏堂(国登文)内部、茶室横からの境内遠望
本坊庭園、杉苔庭に亀島、五葉松の鶴島、茶室横の枯滝などが特に注目される。
大きな枯滝石組から枯れ流れが続き、客殿(国登文)、大玄関(国登文)、奥殿(国登文)を繋ぐ渡り廊下の下部を横断する。
奥殿の北側、大玄関は工事中
奥殿(国登文) - 北朝行在所の内部
南から塀越しに見た奥殿、その手前に南側の庭園の一部が見える。
本坊の北側
壇之端を渡って、大講堂(国登文)と無量寿院(国登文)
金剛寺パンフレット
国重文 南門(表門)
国重文 楼門 鎌倉後期
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
国重文 食堂 室町前期
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺、正面軒唐破風付、本瓦葺
国重文 多宝塔 平安後期
三間多宝塔、こけら葺
国重文 金堂 鎌倉後期 元応2(1320)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、正面向拝一間、背面一間通り三間庇、本瓦葺 棟札1枚
国重文 経蔵と宝蔵
境内奥の国重文建造物群、まず薬師堂、五仏堂、閼伽井屋
国重文 観月亭と御影堂
国重文 法具蔵と護摩堂
国重文 摩尼院書院 桃山
桁行16.9m、梁間12.5m、一重、入母屋造、茅葺、四面庇付、本瓦及び桟瓦葺
Feb.15,2020 瀧山幸伸
本坊、客殿、持仏堂、奥殿、庭園
客殿、持仏堂付近
奥殿
無量寿院付近
北門、摩尼院付近
奥殿
楼門
食堂
鐘楼
金堂
多宝塔
薬師堂、五仏堂、御影堂、阿加井屋、観月堂、法具蔵、護摩堂
開山堂
光厳帝廟
求聞持堂
経蔵、宝蔵
弁財天社本殿、八大龍王善女龍王社本殿、天照皇大神社本殿
築地塀
南門
鎮守社拝殿
鎮守社鐘楼
鎮守丹生・高野明神社、鎮守水分明神社
鎮守の森から見た伽藍
鎮守の森 その他の社殿
総門
October 26,2019 大野木康夫 source movie
天野山金剛寺
本寺の22棟、摩尼院の3棟の建造物が10月の文化審議会で重要文化財に指定するよう答申がありました。
総門(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺
駐車場入り口の脇に建っています。
旧理趣院表門(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間薬医門、切妻造、本瓦葺
本坊から進之橋を渡った対岸、食堂と講堂の前にあります。
旧真福院表門(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間薬医門、切妻造、本瓦葺
無量寿院の入口になっています。
築地塀2棟(答申対象)
伽藍を取り巻いています。
すでに重文指定されている楼門の南北で2棟に分かれています。
楼門北側
楼門南側
楼門(重要文化財)
食堂(重要文化財)
金堂(重要文化財)
多宝塔(重要文化財)
経蔵(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
土蔵造、切妻造、桟瓦葺
多宝塔の南東に建っています。
宝蔵(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
土蔵造、寄棟造、桟瓦葺
多宝塔の西、薬師堂の南に建っています。
薬師堂(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
桁行三間、梁間三間、宝形造、正面向拝一間、桟瓦葺
多宝塔の西、五仏堂の南に建っています。
五仏堂(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、正面庇三間、向拝一間、檜皮葺
楼門から西を見たときに正面に当たるところに建っています。
御影堂(重要文化財)
閼伽井屋(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
桁行一間、梁間一間、唐破風造、檜皮葺
御影堂の南西に建っています。
求聞持堂(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺
五仏堂の西の山の中腹に建っています。
法具蔵(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
桁行三間、梁間三間、切妻造、本瓦葺
御影堂の北側に建っています。
護摩堂(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
桁行三間、梁間三間、宝形造、本瓦葺
金堂の西側、法具蔵の北側に建っています。
開山堂(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
桁行一間、梁間一間、宝形造、こけら葺
附:石造三重塔2基
護摩堂の西側に建っています。
鐘楼(重要文化財)
弁財天社本殿(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間社流見世棚造、檜皮葺
伽藍東南部の池の南側に三社並ぶ龍王社の西側のものです。
八大龍王善女龍王社本殿(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間社春日見世棚造、檜皮葺
龍王三社の真ん中のものです。
天照皇大神社本殿(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間社春日見世棚造、檜皮葺
龍王三社の東側のものです。
南門(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間四脚門、本瓦葺
南大門と呼ばれています。境内の南側の入口です。
国道170号を渡って東側の鎮守社へ
鎮守社拝殿(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
桁行七間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺
鎮守社参道の中腹に建っています。
大きな建物です。
鎮守社鐘楼(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
桁行一間、梁間一間、切妻造、袴腰付、桟瓦葺
鎮守社参道の中腹に建っています。
鎮守社本殿2棟
鎮守社水分明神社本殿(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
一間社春日造、檜皮葺
向かって左側の春日造の社殿です。
鎮守社丹生高野明神社本殿(答申対象)
慶長10(1605)年の建築
三間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺
向かって右側の大きな三間社の社殿です。
摩尼院表門(答申対象)
元禄13(1700)年の建築
一間四脚門、本瓦葺
摩尼院の正門です
築地塀2棟(答申対象)
表門の南北で分かれて2棟です。
摩尼院書院(重要文化財)
答申どおり指定されれば、重文建造物の数では32棟を有する全国有数の寺院となります。
October 9,2017 大野木康夫 source movie
所在地 大阪府河内長野市天野町996
天野山金剛寺は真言宗御室派大本山で、奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開創した古刹です。
平安時代末期、高野山の阿観上人が後白河法皇と八条女院の帰依により伽藍を復興し、それ以来真言宗の名刹として今に続いています。
南北朝時代には南朝の後村上天皇が一時滞在され、北朝の光厳、光明、崇光上皇も幽閉されていたことがあります。
パンフレット
案内板
本坊
本坊庭園、奥殿(北朝御座所)
事務所前から伽藍へ
北朝御座所を外側から
摩尼院書院(重要文化財)
桃山期の建築
桁行16.9m、梁間12.5m、一重、入母屋造、茅葺、四面庇付、本瓦及び桟瓦葺
慶長年間に造られた書院であって、正規の様式をもつ。
(国指定文化財等データベースより)
南朝御座所として、通常期は日曜祝日公開ですが、門が修理中で内部は公開されていませんでした。
部分撮影
楼門北側の石垣の改修中でした。
塀越しに覗く金堂
楼門(重要文化財)
鎌倉後期の建築
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
部分撮影
伽藍へ
食堂(重要文化財)
室町前期の建築
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺、正面軒唐破風付、本瓦葺
後村上天皇が滞在された建物です。
部分撮影
金堂(重要文化財)
元応2(1320)年の建築
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、正面向拝一間、背面一間通り三間庇、本瓦葺
平成21年から9年間の大修理がようやく終わり、鮮やかな彩色が施されています。
来年3月に本尊大日如来が戻られ、3月27日に落慶法要が行われる予定です。
部分撮影
多宝塔(重要文化財)
平安後期の建築
三間多宝塔、こけら葺
大修理で鮮やかな色彩がよみがえりました。
部分撮影
御影堂(重要文化財)
慶長11(1606)年の建築
桁行四間、梁間四間、一重、宝形造、正面向拝一間、背面向拝二間
観月亭 桁行南面一間、北面二間、梁間一間、一重、東面向唐破風造、西面御影堂に接続
総檜皮葺
眞如親王筆弘法大師御影を安置しています。
部分撮影
鐘楼(重要文化財)
室町前期の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
部分撮影
Sep.4,2009 撮影/文 野崎順次
大阪府河内長野市天野町996
真言宗御室派大本山
天野山 金剛寺
金剛寺(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山である。山号は天野山(あまのさん)。
高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。
奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開いたとされる。
弘法大師(空海)も修行をしたとされている。
平安時代末期に高野山の僧・阿観(あかん)が金堂・御影堂などを建立し、再興した。南北朝時代には南朝方の勅願寺とされ、後村上天皇の行在所(あんざいしょ)ともなった。
また、北朝の光厳・光明・崇光天皇の行在所とされた時期もあった。
その後、戦火にも遭うことがなく、貴重な文化財が数多く残されている。
アプローチ
重文 楼門
重文 持国天立像
重文 増長天立像
重文 食堂(天野殿)
後村上天皇が当寺に行在中の6年間、この食堂を正殿として政庁に使用された。
重文 金堂(2009年より9年かけて大修理中)
1178年(治承2年)の建立、慶長年間に大修理で改造されたといわれている。本尊の木造大日如来坐像は脇侍の木造降三世明王坐像及び木造不動明王坐像とともに運慶作と伝わる。
重文 多宝塔
桧皮葺の塔で、わが国最古の形式を持つといわれる。
府文 宝蔵
府文 薬師堂
府天然記念物 千年杉 と 求聞持堂
府文 五仏堂
重文 御影堂と観月堂
真如親王真筆の弘法大師堂を祀る。金堂と同じ1178年(治承2年)の建立。
府文 閼伽井屋
府文 法具蔵
府文 開山堂
宮内庁 光厳天皇分骨所
府文 護摩堂
重文 鐘楼
重文 摩尼院書院(南朝行在所)
それから、
無量寿院など
本坊
河内長野駅あたり。たこ焼きが安い。高野街道の合流点。
参考資料
ウィキペディア「金剛寺(河内長野市)」
霊場参拝新西国三十三ヶ所HP
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