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大阪府能勢町 本瀧寺

Hontakiji,Nose Town, Osaka Pref.

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Oct.16.2018  中山辰夫

 

大阪府豊能郡能勢町野間中718

妙見山の中腹にあるが、日蓮宗能勢妙見山(無漏山真如寺境外仏堂能勢妙見山)とは無関係の天台宗系修験道の寺院で、妙見宗総本山の仏教寺院。

地図

  

「能勢妙見山」から「奥の院」へ向かう昔の参道の途中にある。コノルート葉大阪環状自然歩道になっている。

下りの山道をしばらく進むと両側に石仏が多く現れ、その先が境内である。

           

本瀧寺

山号:能勢妙見山 宗旨:妙見宗 本尊:蔵王権現 開基:野間日照

      

大きな杉木立に囲まれた境内は、本堂を中心にして左手に寺務所があり、右手には護摩堂、その右奥に宿坊がある。

宿坊の右手には水子地蔵・延命地蔵・八大龍王等、所属の寺院・教会の守護神の仏像や石碑が並べて祀られている

本堂 (大空殿)、ほか

           

1933(昭和8)年に完成。行基菩薩の建てられた「爲楽山大空寺」にちなみ、「大空殿」と名付けられている。

内陣・中陣・拝殿に分かれ、内陣にはご本尊のお釈迦様を中心に、ご本尊の妙見大菩薩・常富大菩薩様が祀られている。

お堂の周りはお題目を唱えながら、お百度を踏む人が多く、数読みの竹をもってまわる姿が見られる

逆回りに歩いているが、境内を出て大鳥居に向かう。振り返ると寺域の広大さが分かる。

     

石造の大きな狛犬が迎える、

石の大鳥居

 

ここからお参りするのが正式な参拝ルート

妙光奥の院まではここから4㎞

 

参考資料 (引用:本瀧寺HP)

歴史

1921年、天台修験道の僧侶野間日照上人が古くからの行場である本瀧の地に天台系修験道の寺院を建立した(当時、新たな寺院を建立する許可を取るのは難しかったため、奈良にあった天台宗修験道の寺院「薫香院」の名義を移転させる形で新寺院を建立)。1926年に「本瀧寺」へと改称し現在の寺号となる。1946年には、それまでの天台宗から独立、新宗派として「妙見宗」を創立し妙見宗の総本山として教線を拡大していく。

能勢の本瀧

今からおよそ千二百年以上も前、行基菩薩が開かれたというこの御瀧は、能勢妙見山 本瀧寺の境内の南東の奥にあります。

正面に石の大鳥居があり、苔むした岩の上の青銅の竜の口から霊水が落下しています。

滝壺には天保十二年に、丹波の日の出講の発願で法華経の一字一石が埋められたといわれています

奈良時代、妙見山北部中腹にある滝が行基により拓かれ、為楽山の水行場として使われるようになり「行儀の滝」(現在の能勢の本瀧)と呼ばれるようになったと伝えられる。

野間日照上人は、かつて能勢妙見堂のお堂の一つであった常富堂を改修する形で堂宇を建立し、それが現在の本瀧寺の基礎となった。寺の名前の由来にもなった能勢の本瀧は境内の南東奥にあり、江戸時代以前は妙見瀧や妙見山瀧と呼ばれていた。

正面に石の大鳥居があり、青銅の竜の口からは湧き水が落下している。本瀧寺が建立される以前は、能勢妙見堂への寄進として天保12年に丹波の日の出講の発願で法華経の一字一石が滝壺に埋められるなど行場としての歴史は古く、滝周辺には多くの石仏が祀られている。また、天理教教祖中山みきや本門仏立宗開祖長松清風、将棋棋士の阪田三吉も本瀧で修行したと伝えられる。 「引用:

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