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大阪府能勢町 地黄

(Jioh Village, Nose-cho, Toyono-gun, Osaka Pref.)

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 General
 
古来様々な役割を果たしてきた能勢街道村落
 Nature
 
山間の小盆地
 Water
 
 
 Flower
  
 
 Culture
  
野間神社、地黄城跡、地黄公会堂、嶋田商店
 Facility
 
 Food
  
銘酒秋鹿


April 29, May 6 and June 2, 2018 野崎順次

Apr.29 source movie

May 6 source movie

June 2 source movie

大阪府豊能郡能勢町地黄

地黄を歩く

地名の「地黄」について、社伝には薬草の地黄草にちなむものといい、石上神宮から分霊を運んだ人々によって薬草も持ち込まれたといいます。承和年間より、当地は朝廷典薬寮領の地黄御薗として、薬草の貢献が行われました。

(野間神社説明板より)

平安時代後期、清和天皇のひ孫である源満仲の一族が能勢に入部し能勢氏を名乗り丸山城を本拠地として当地を統治していた。戦国期に豊臣秀吉により丸山城は戦火を受けたが徳川家康によって能勢家再興がなり、能勢氏中興の祖と言われる能勢頼次公が元和元年(1615)当地に居城として陣屋を構築した。

能勢町観光協会「のせNOTE」より

家村耕編著「能勢氏千年の歴訪」冊子

                  

4月29日 大ケヤキから地黄の村落に歩く。

     

4月29日 式内社 野間神社

川の東岸近く、住宅地の中に鎮座する。社記によると、推古天皇御代、大和国石上神宮の石窟から真勾玉241個を奉戴遷祀したともされている。

当社では、本殿に奉齋してある御霊代が水晶の勾玉であり、毎年12月に御召替と称する神事が行われていた。御霊代(神体)は、饒速日命が首にかけていた勾玉とされます。

南西1Kmに合祀された旧蟻無神社境内に「野間の大けやき」がある。この木はもともと、紀貫之をまつった蟻無宮(ありなしのみや)神社の神木だった。明治40年、神社は野間神社に統合されたが、木だけは残された。

(阜嵐健「延喜式神社の調査」ウェブサイトより)

            

本殿

        

摂社、忠魂碑(機雷と砲弾を合体させたタイプ)など

      

4月29日曇り、清普寺から地黄城への道

              

6月2日晴天、丸山城から地黄城への道

                

5月6日 地黄公会堂 昭和11年(1936)

地元自治会が「大阪市中央公会堂のような建物を」と1936年に建設。黒塗りのヒノキ板の壁や白い窓枠が印象的な洋風建築で、ヨーロッパ人の設計とのこと。後に和風の車寄せが付けられた。

                  

地黄城跡

地黄城は、地黄地区の東寄り、現在の能勢町立東中学校の前面にあたり、その部分はテニスコート及び一部教室にあてられている。東西75m×南北110mの地取りで、丹波国へ通じる道路からやや東に折れ引っ込んだ部分に、大手門を造り、石組みの枡形を止め、西、南、北を石塁で固め、北および南辺は土塁状に高くなって所々に屈折を持たせ、単郭式ながら近世陣屋城としての防備を整えていた。

(中略)

徳川家康の家臣となった能勢頼次は、関ヶ原の戦いで軍功を上げると、旧領の他数十か所の村からなる領地を宛がわれ能勢に復帰した。能勢頼次とその一族の所領を合わせると7,800石余にのぼる。野間社を再建し、次いで地黄城の築城に着手した。慶長7年(1602年)より普請が開始され、山田彦右衛門なる人物が普請奉行をつとめ、かつての能勢氏代々の居城であった丸山城から石材、木材を移し、丸山城の麓にあった市場も地黄城に移して城下の町割りについても整備していった。石垣の普請には丹波国印南村の村民が従事したようで、その積み方は「印南積」と呼ばれており、能勢頼次が印南村民の願いを聞き入れた礼だと伝わっている。元和元年(1615年)秋地黄城は完成する。

(ウィキペディア「地黄城」より)

石垣と大手門跡(食違虎口)

                

城跡は大部分が草原で、東南隅に「能勢氏故城址」の石碑がある。

                         

5月6日 築100年の酒屋「嶋田商店」、なかなかの雰囲気のある酒屋さんである。

       

しかもご主人はペンネーム「家村耕」の作家で、京都新聞に毎週連載された「光秀奔る」、「摂丹の霧」などの作品がある。また、本レポートの最初に紹介した冊子「能勢氏千年の歴訪」の編著者でもある。大正天皇の后、貞明皇后の生母野間幾子が能勢氏と関わる話など伺って、銘酒「秋鹿」の300㏄ボトルを2本飲んだらすっかり酔っぱらってしまった。

           

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