大阪府能勢町 清普寺
(Seifuji Temple, Nose Town, Osaka Pref.)
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イタチ、アナグマ | |
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大阪府豊能郡能勢町地黄
日蓮宗 正行山 清普寺
能勢氏は清和源氏頼光流で、山県国直の子国基が能勢郡田尻荘の地頭となり能勢氏を称したといわれ、古くよりこの地を拠点としていたが、本能寺の変の後に明智光秀に味方し、光秀が滅亡すると一時滅亡した。しかし、能勢頼次が徳川家康に召しだされ、関ヶ原合戦の戦功によって旧領を回復し大身旗本となった。
(城郭放浪記ウェブサイトより)
寺の創建は、慶長六年(1601)能勢頼次が日蓮宗中興の祖とされる日乾上人の弟子、日然上人を開山に招き、父頼幸の菩提のために建設したのが始まりである。
(現地説明板)
参道を行く。
府文 表門 江戸中期 元文五年〜寛延二年(1740-49)
一間薬医門、切妻造本瓦葺
薬師如来坐像 鎌倉後期
花崗岩、地上高140cm、仏高 約56cm
裏面に南無妙法蓮華教の題目を刻むが後世の追刻
府文 本堂 江戸初期 元和二年(1616)
桁行16.88m、梁間11.75m、入母屋造、向拝一間、鉄板葺(もと茅葺)
祖師堂
府文 庫裏 江戸前期 宝永四年〜享保二年(1707-17)
桁行23.64m、梁間8.87m、入母屋造鉄板葺(もと茅葺)、正面並びに背面庇付
その他
府文 鐘楼 江戸中期 18世紀後半
桁行一間、梁間一間、入母屋造鉄板葺(もと茅葺)
諸天堂
見下ろす。手前から祖師堂、本堂、庫裏
府文 能勢家墓地 五輪塔十三基、宝塔四基、笠塔婆二十五基、板碑二十七基
動画撮影中(1H8A3879)にイタチが右から現れ、首をかしげて、左へ去った。このあたりは、イタチ、アナグマ、タヌキ、マムシが多いそうだ。
個々の墓石
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