大阪府大阪市中央区 近松門左衛門の墓
(Grave of Monzaemon Chikamatsu, Chuo-ku, Osaka City, Osaka Pref.)
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April 15, 2018 野崎順次 source movie
大阪府大阪市中央区8丁目
近松門左衛門の墓
(Grave of Monzaemon Chikamatsu, Chuo-ku, Osaka City, Osaka Pref.)
国史跡
近松門左衛門は1653年(承応2年)の生まれで(出生地については諸説あり)、本名は杉森信盛、幼名は次郎吉といい、越前・吉江藩士杉森市左衛門信義の次男として誕生する。元禄年間を中心として、貞享〜享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、1724年(享保9年)に72歳で没した。近松は、竹本義太夫や2代目義太夫のために100作を越える浄瑠璃を著す一方で、坂田藤十郎のために20数作の歌舞伎狂言を著している。「曽根崎心中」、「心中天網島」、「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は今日に通ずる所も多く、伝統芸能や演劇、映画などの中で再創造され、たくさんの人に感動を与え続けている。尚、近松門左衛門の墓は兵庫県尼崎市久々地の「広済寺」にもある。
(「大阪再発見!」ウェブサイトより)
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