大阪府大阪市北区 大阪市中央公会堂
Osaka central city hall,Kitaku,Osaka city,Osaka
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大阪市北区中之島1-1-27 大阪市中央公会堂 重文 近代/文化施設 大正 大正7(1918) 鉄骨煉瓦造、建築面積2,164.17㎡、三階建、地下一階、銅板葺、一部スレート葺 20021216
June 2020 酒井英樹
大阪市中央公会堂
撮影時期:(全景)平成21年(2009)5月
(貴賓室)令和2年(2020)2月
大阪市中央公会堂は、一級水系淀川の土佐堀川と堂島川に挟まれた中之島地区の東端部に建つ。
中之島は、明治20年代(1890-)から公園として整備されはじめ、以降、日本銀行大阪支店[明治36年(1903)建築、外観保存]、大阪府立図書館[本館:明治37年(1904)、両翼:大正11年(1922)の建築、共に重要文化財]、旧大阪市庁舎(三代目)[大正10年(1921)建築、非現存]等が建設され、大阪の中心的な公共地区として発展してきた。
中央公会堂は、北浜で株式仲買商を営んでいた岩本栄之助の寄付によってできた公会堂建築である。
大正2年(1913)6月28日着工、大正7年(1918)10月31日に竣工し、11月17日に開館した。
岩本栄之助は明治42年(1909)の米国視察で、実業家の公共奉仕の必要性を感じ、集会施設の建築費用として大阪市に100万円を寄付した。
岩本の寄付によって公会堂建設の方針を固めた大阪市は、明治44年(1911)8月に大阪市長の植村俊平を理事長とする財団法人公会堂建築建設事務所を設立し、建設事業に着手した。
建設経費は、岩本の寄付による100万円と利息10万円を合わせた110万円で計画され、最終総額は112万円余にのぼった。
設計、財団法人公会堂建設事務所が実施した指名設計協議に1等当選した岡田信一郎の設計を原案とし、同事務所に委嘱を受けた辰野金吾、片岡安が中心となって実施設計を進めた。
工事は公会堂建設事務所の直営工事として行われ、基礎工事、躯体工事等主要部分は清水組(現:清水建設)が施工した。
その後、仕上材の老朽化や設備面の問題が生じてきたため、大阪市では平成11年から14年(1999-2002)にかけて改修工事に着手し、内外装の復旧整備、耐震補強、設備の更新等を行った。
平面規模は、間口43.6m、奥行61.8mで、主要部を矩形とし、階段室となる四隅をはりだす。
建築面積2164.17㎡、鉄骨煉瓦造、地上3階、地下1階建で、平成の修理の際、基礎下に新たに構造体を設けて免震化した。
外壁表面は地階部分が花崗岩積、地上階は、腰の帯石を花崗岩、壁柱と蛇腹、パラペット廻りを擬石モルタルとし、他は化粧煉瓦小口貼り仕上げとする。
各床は鉄筋コンクリート床板を約1.2m間隔の鉄骨小梁で受ける。小屋組は鉄骨造のトラス架構、屋根は銅板葺で一部を天然スレート葺、側面、四隅にドーマー窓を並べる。
平面は建物中央に1・2階の吹き抜けの大集会室、前後に表玄関ホールと舞台、3階は中央に大食堂(現:中集会室)、前後に貴賓室(現:特別室)、中食堂(現:小集会室)が配置される。
建物四隅に階段室と小室として塔屋を掲げる。
地下にはレストラン(建築時は酒場と称した)、厨房、会議室等が配される。
建築様式は、工事記録には「復興式中準パラデヤン式」とあり、ネオ・ルネッサンスを規定としたものと解される。
外観は左右対称を基本とし、大集会室を配した1・2階と3階部分で分節してコーニスを二段に重ねる。
基層部分に付柱を並べ、ペディメントを付した開口部を規則正しく放つ等、厳格な構成とする。
一方、正面は、装飾的なドームを掲げた塔屋を左右に、4本のジャイアントオーダーが壮大な半円アーチを支承する等、バロック的な壮麗さを併せ持つ。
さらに、柱頭飾を幾何学化したり、側面の窓枠を上下で連接させる等、細部にはセセッションの浸透もみられる。
室内意匠もネオ・ルネッサンスを基調とし、種々の柱頭飾を備えた列柱や付柱、扉建具枠廻等に特色ある装飾を付し、大集会室、中集会室、特別室等の各室でスタイルをかえる。
ステンドグラスを多用し、書室の灯具も特色あるものが多く、様式建築の内装として充実した内容を持つ。
一方、特別室には古代神話を題材とした天井画や壁画を飾る等、和風の要素を用いる点も特徴的である。
大阪市中央公会堂は、わが国の煉瓦を主体とした建築の到達点を飾る建築の一つである。
意匠的に完成度が高く、ネオ・ルネッサンスを基調にバロック的な躍動感をいれ、細部にはセセッションをとりいれる等、わが国における様式建築の習熟の過程をよく示し価値が高いと評価され、平成14年(2002)12月重要文化財に指定された。
「正面アーチ型屋根」上のシンボル像
金属類回収令により失われていたものを改修時に60年ぶりに復元されたシンボル像。
右側がローマ神話に登場する学問の神「ミネルバ」、左側が商の神「メルキュール」
〈内部〉
《階段室》
《旧貴賓室(特別室)》
天井画
日本書紀「天地開闢」 作:松岡壽。
「伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)が国づくりのため、天津神(アマツカミ)より天の瓊矛(ヌホコ)を授かる瞬間」を描写
麻布を貼って描いた、油彩画
西側上部の壁画
上町台地から民のかまどに立つ煙を眺める仁徳天皇
東壁ステンドグラス
硝子工事:木内眞太郎
真ん中の上部は鳳凰と大阪市の市章・澪標をモチーフにデザイン化
扉
扉の象嵌細工
カーテン
『四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)』の文様
柱頭飾
灯台
大阪府大阪市北区中之島1−1−27
大阪市中央公会堂
(Osaka City Central Public Hall, Kitaku, Osaka City, Osaka Pref.)撮影日: April 14, 2013 赤レンガの壁に青銅のドーム屋根が美しい中央公会堂である。大正7年(1918)に完成後、コンサートやオペラ、講演会などが次々と開催されるなど、大阪の文化の発信地となってきた。かつて、その誕生のために莫大な私財を投じながら、完成を待つことなく僅か39歳でピストル自殺をした人物がいた。それが、「義侠の相場師」ともいわれた株式仲買人、岩本栄之助である。その人生の一部は地下1階の「岩本記念室」で見ることができる。大阪市中央公会堂は、大正二年春に着工し、述べ18万4千人の職人と5年の歳月を経て大正7年10月に完成した。構造は鉄骨煉瓦造で、地上3階、地下1階建、敷地面積5,641m2、建築面積2,164m2、延床面積8,425m2の規模をもつ、ネオ・ルネサンス様式の建物である。平成11年より始まった保存・再生工事は、歴史的建造物としての保存と、創建当時への復元改修に加え、高い耐震性能をもたらす「免震レトロフィット構法」を採用するなど大掛かりなものとなった。また、内部には創建当時の構造や調度品が残されている。平成14年(2002)11月1日に再び開館、同12月26日に国の重要文化財に指定された。
建物正面(東面)
南面と西面
内部、3階
2階、大集会室
地下1階
岩本記念室
周辺には日曜日の午後を楽しむ人々
参考資料
大阪市中央公会堂HP
大阪市中央公会堂 国指定重要文化財
大阪府大阪市北区中之島1-1-27
竣工:大正7年(1918年)
原案設計:岡田信一郎
実施設計:辰野片岡建築事務所
施工:清水組
構造:鉄骨煉瓦・鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階建て改修:平成14年(2002年)大阪市住宅局営繕部 坂倉・平田・青山・新日設設計JV
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