大阪府大阪市平野区 杭全神社
(Kumatajinja Shrine, Hiranoku, Osaka City, Osaka)
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大阪市平野区平野宮町2-1-67 杭全神社本殿(第一殿) 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄3(1690) 一間社春日造、檜皮葺 棟札1枚 19770128
大阪市平野区平野宮町2-1-67 杭全神社本殿(第二殿) 重文 近世以前/神社 室町後期 永正10(1513) 三間社流造、檜皮葺 棟札1枚、棟札3枚 19490218
大阪市平野区平野宮町2-1-67 杭全神社本殿(第三殿) 重文 近世以前/神社 室町後期 永正10(1513) 一間社春日造、檜皮葺 棟札1枚、棟札1枚 19490218
大阪市平野区平野宮町2-1-67
平安の初期、征夷大将軍坂上田村磨の子、広野麿が杭全荘を領地として賜ってこの地に居を構え、その子当道が貞観四年(862)に氏神として素盞嗚尊を勧請し祇園社を創建したのが第一殿です。降って、建久元年(1190)に熊野信仰の流行するに及び、熊野證誠権現(伊弉諾尊)を勧請したのが第三殿です。更に、元享元年(1321)に熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請建立したのが第二殿であり、この時、時の帝後醍醐 天皇より「熊野三所権現」の勅額を賜りました。この時に荒廃していた諸殿・諸堂が修復され、詔勅によって熊野権現社が総社となり、 第一殿の祇園杜と並び称されるようになりました。
明治になって、社号を杭全神社と定められ、本来の祇園社(素盞嗚尊・牛頭天王)を本社、熊野三所を雑社熊野神社とし、證誠殿を摂社、 田村堂を別社、その他を末社と定められました。明治5年に社格を定められた時、郷社に列せられ、同39年に指定神社となり、同40年に幣帛供進神社に指定されました。昭和5年に府社に昇格、そして戦後は宗教法人杭全神社となり、今日に至っています。
標柱あたり
直ぐ左手に大きな楠がある。大阪府指定の天然記念物で、周囲10m以上、高さ約30mに達し、樹齢は1000年と言われており、樟社として、お祀りされていて、地元平野では、「楠(くすのき)さん」と親しまれている。
さらに参道を進み、大門をくぐる。
拝殿
本殿前の回廊、左から右へ、第一殿、第二殿、第三殿。
重文 本殿(第一殿) 江戸中期 元禄3年(1690)
式年造替で取壊された春日大社本社本殿(第三殿)を移したもので、後世の改修はほとんどなく、よく旧規を保っている。現存する春日大社旧殿のうち、由緒が明らかで、かつ年代の古いものの一つ。
重文 本殿(第二殿) 室町後期 永正10年(1513)
三間社流造、檜皮葺
重文 本殿(第三殿) 室町後期 永正10年(1513)
一間社春日造、檜皮葺
瑞垣内の若一王子社、八王子社、天満宮、皇大神宮
その他境内
参道の出店と周辺
参考資料
杭全神社HP
国指定文化財等データベース
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