大阪府堺市堺区 祥雲寺
(Shounji Temple, Sakai-ku, Sakai City, Osaka Pref.)
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江戸初期の枯山水庭園が残存、府名勝 |
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大阪府堺市堺区大町東4丁2-7
臨済宗大徳寺派
龍谷山 祥雲寺
寛永2年(1625年)に沢庵和尚によって創建され、庭園は枯山水の様式で大徳寺の方丈庭園と類似し、府の指定名勝になっています。方丈の南庭として作られ、庭全体を平らとする平庭式の枯山水様式の庭園で、土塀寄りに石組を配置し手前に広い白砂空間をとっているのは、江戸時代初期の枯山水に共通する様式です。第二次世界大戦で敷地全体が焼けましたが、焼け残った石組をもとに整備され当時の姿をしのぶことができます。
寺の創建に関わった堺の豪商谷正安の依頼で描かれた「沢庵和尚像」や、釈迦の教えを聴聞する「釈迦二声聞像」は重要文化財に指定されています。
(堺観光ガイドサイトより)
府名勝 祥雲寺庭園 江戸初期
万治二年(1659)になって、大徳寺から天祐和尚を請じて第二世とした。そして本庭が天祐和尚入寺と共に完成したものと見てよい。
(中略)
大徳寺方丈庭園が、寛永二十年頃に、天祐和尚の作庭と伝承されているが、この大徳寺方丈庭園と、祥雲寺庭園とは、規模こそ違うが、はなはだよく似た枯山水であることもその証拠である。本庭は方丈の南東庭にあたり、禅院式の枯山水であるが、東南西の三方は土塀に囲まれていて、面積は約八十坪ほどあり、やや長方形の平庭となっている。
本庭では方丈の前を白砂敷とし、東北部からやや斜線的に石を組み、東北部の富士石の付近が集団石組とされ、しかも蓬莱式の枯滝を見せている。そしてずっと南西に石組が続くが、本庭は江戸中期頃になって改作された部分もあり、さらに近年の戦火で本寺が焼失してまたまた荒廃したが、それでも近年の手入れに用って旧時の景を見せている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」昭和49年、「祥雲寺庭園」より)
枯滝の石組
その他個々の石組
境内奥の庭園
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