大阪府堺市堺区 養寿寺
(Yojuji Temple, Sakai-ku, Sakai City, Osaka Pref.)
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大戦後、石組が辛うじて残存 |
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桃山時代の枯山水 |
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September 17, 2018 野崎順次 source movie
大阪府堺市堺区甲斐町東5丁3−19
日蓮宗 宗円山 養寿寺
(Yojuji Temple, Sakai-ku, Sakai City, Osaka Pref.)
当寺は、日蓮宗で、本尊は大曼荼羅御本尊です。
永禄10年(1567)9月に、千利休・津田宗及とともに三宗匠の一人と言われた今井宗久の兄秀光が、当地に屋敷を建てたものを、寛永13年(1636)に、今井宗円が即明院日相上人(宗円の甥)を開山として、今井家一門の菩提を弔うため寺院に改めたものです。
当寺の建物及び寺宝等は第二次大戦ですべて焼失しましたが、永禄10年頃に作られたものといわれる庭の石組が現存します。この庭は、室町様式を伝える桃山初期の書院式枯山水で、
正面には亀島、その左には低く鶴島を設け、右の方にも集団の石組を設けた三集団の庭園であると伝えられており、当寺の庭園の様子がうかがうことができる石組が保存されています。
境内には、今井宗薫の五輪塔があり、「天外宗薫、宝永4年(1707)4月11日」と刻しています。
(現地説明板より)
養寿寺庭園 桃山時代 枯山水
著者は戦災前の昭和十一年三月に本庭を実測調査したが、その頃は寛永再建の書院が保存されていてはなはだ立派であり、庭園もその頃では一層美しいものであった。
(中略)
本庭は書院の西北庭で、面積は約二十八坪ほどの小庭で、西部と北部とは土塀に囲まれた枯山水である。そして本庭は中央やや西北に亀島を設け、鶴島は荒廃してしまっている。本庭は古くから「亀の庭」と称したのは、この亀島がよく保存されている結果であろう。
この亀島は東部に亀頭石を向け、手脚石も用いられていて、やや写実的であり、中央には中心石も立石として保存されている。本庭はしたがって蓬莱式の枯山水であり、亀島の護岸石組も三段式であってよくこの時代の手法を見せている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」昭和49年10月15日発行、「養寿寺庭園」より)
北西側(旧書院側)を左から右へ
南東側(外塀側)を右から左へ
その他周辺
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